海外文学読書録

書評と感想

木下恵介『カルメン故郷に帰る』(1951/日)

★★

浅間山山麓の村。東京に出ていた娘・おきん(高峰秀子)が友達(小林トシ子)を連れて故郷に帰ってくる。おきんはストリッパーになっていてリリィ・カルメンと名乗っていた。彼女は自分のことを芸術家だと思っている。校長先生(笠智衆)は当初おきんの理解者だったが……。

思ったよりもぬるい映画だった。カラーであること意外どこがいいのか分からない。特にドラマらしいドラマがなく、中身がスカスカなのが気になる。しかも、そのスカスカな部分を歌や踊りで誤魔化しているのだからたちが悪い。大自然にけばけばしいストリッパーという色味の良さは認めるにしても、国産カラーフィルムお披露目以上の価値は認められなかった。

ストリップを芸術と呼んでいるところがギャグになっているが、現代人にとっては普通に芸術なのでギャップがある。表現の自由が重んじられる現代においては、ヌード写真もポルノ映画も芸術だ。当然、ストリップも立派な芸術である。その地位はバレエやミュージカルと大して変わらない。だからおきんの芸術家自認を現代人が笑うのは難しい。戦後間もない時期の価値観を知れたのは有意義だが、自意識と社会規範のギャップを突いたコメディとしてはもはや鑑賞の価値がなくなっている。これが古典の宿命なのだろう。とはいえ、現代人が無理やり面白がる義理もないわけで、これを今更見てどうするのだと途方に暮れた。

終盤のストリップが見せ場になっている。ここは裸を見せないので消化不良だ。脚は惜しみなく見せているし、不格好なズロースも見せている。しかし、おっぱいは見せないし、すべての場面で服を着ていて露出度は控えめである。これが当時の限界だったのだ。戦後6年では公然とエロを扱うことはできなかった。だったらストリップを題材にしなければいいと思うが、戦後民主主義がもたらした自由を表現するためにストリップを持ち出すのには意味がある。ただ、本作は時代の制約もあって倫理的に自由になりきれてない。ここは見ていて歯痒いところで、町中にポルノ表現が溢れている現代がいかに恵まれているのかを実感する。抑圧された市民にとって表現の自由ほど大切なものはない。戦後民主主義の擁護者として、我々はポルノを規制しようとする勢力と断固戦う義務がある。

面白かったシーンは、おきんと友達が舞台でストリップを披露するシーン。2人が激しく踊ると舞台の羽目板が揺れ、それに合わせて楽隊の演奏が乱れる。これがいかにも素人舞台という感じで微笑ましかった。田舎だからちゃんとした舞台ではないのである。また、2人が目まぐるしく衣装を替えるところはカラーの特色を生かしていて良かった。赤やピンクといった派手な色もいいが、白い衣装も画面に映えている。大自然にけばけばしいストリッパーという色味の良さは認めるしかない。

運動会のシーンでは子供が50人くらいいた。浅間山山麓の鄙びた田舎でこれである。現代だったら子供は5人しかいないだろう。時代のギャップをもっとも感じたのがここだった。