海外文学読書録

書評と感想

川島雄三『幕末太陽傳』(1957/日)

★★★★★

文久2年。品川宿遊郭・相模屋で佐平次(フランキー堺)と仲間たちがどんちゃん騒ぎをする。ところが、佐平次は無一文だった。佐平次は相模屋に居残って働くことに。一方、相模屋には攘夷の志士・高杉晋作石原裕次郎)が逗留しており、異人館の焼き討ちを計画している。そんなことは余所に、佐平次は機転を利かせて数々のトラブルを解決していく。

勢いのある時代劇で面白かった。落語が元ネタだけあってみんな気風がよく、特にフランキー堺の口跡はまるで落語家だった。この生き生きとした語り口は『男はつらいよ』渥美清を彷彿とさせる。

現代の時代劇はゆるいコスプレ劇にしか見えないけれど、昔のはそうでもなくてきっちりとしたリアリティがある。これは映像が古びているからというのもあるし、役者の所作が古臭いセットに馴染んでいるからというのもある。結局のところ、昔の人は言葉遣いも佇まいも現代人とは違っていて、そのギャップが時代性を感じさせるのだ。そして、その時代性が劇をもっともらしく見せている。本作はコメディ作品なので、当時の観客がリアリティを感じていたのかは疑問である。けれども、現代を生きる僕にはあまり違和感がなかった。

本作は役者の演技や細かい時代考証も去ることながら、物語の構成が素晴らしい。戦後のこの時点でグランドホテル形式をものにしていたのは特筆に値する。物語は複数のプロットが並行しているのだけど、それらを佐平次が八面六臂の活躍で解決する。佐平次がただの遊び人ではなく、したたかな町人であるところがポイントで、不穏な時代をたくましく生きているところが魅力である。その一方、彼は胸の病を患っており、劇中では最初から最後まで咳をしている。このように「死」を予感させながらも強烈なバイタリティを発揮しているところが彼の特徴で、他ではあまり見かけない影のあるヒーロー像を作り上げている。

遊郭の内部はドタバタしていて、いかにも平和を享受しているという体だ。その一方、表通りでは足軽やら何やらが行列を作っていて不穏である。極めつけは、高杉晋作とその仲間たちが異人館の焼き討ちを計画しているところだろう。外側の不穏な空気が遊郭の中にも流れ込んでいて、この世界が永遠に続かないことを予感させる。しかし、そんな激動の時代でも町人たちはたくましく生きていかなければならない。たとえ支配体制が変わっても人生は続くのだ。そのことを踏まえると、生き馬の目を抜く佐平次が頼もしく見えるし、遊女たちが求婚するのも無理はないと思える。