海外文学読書録

書評と感想

大島渚『東京戦争戦後秘話』(1970/日)

★★★

左翼運動の一環として仲間たちと映画製作をしている元木(後藤和夫)は、沖縄デーの闘争記録を撮影中、私服刑事にカメラを奪われる。走って追いかける元木。その一方で、彼は「あいつ」がフィルムを遺書にしてビルから飛び降りる場面を見る。そのことを仲間たちに伝えると話が噛み合わない。元木は恋人の泰子(岩崎恵美子)と2人で話をするが……。

この映画そのものが一編の幻想のような感じ。元木の見た「あいつ」は実在するのか? 「あいつ」はただの幻想に過ぎないのか? そういう興味で観客を引っ張りつつ、学生運動家たちの肖像や、泰子との奇妙な関係を織り交ぜていく。「あいつ」を巡る話がこれまたややこしくて、当初は「あいつ」の存在を頑なに信じ、泰子を「あいつ」の恋人だとさえ思い込んでいた元木が、色々あってあれは幻想だったと自らを納得させる。ところが、そうなった途端、泰子が「あいつ」の存在を認め、自分は「あいつ」の恋人であると証言する。結局、フィルムを手掛かりに2人で「あいつ」の痕跡を辿っていくのだった。このプロットの決着はまあまあ納得できるもので、昔の実験映画らしい仕上がりになっている。突拍子もない風呂敷を上手く畳んだのではなかろうか。

全共闘世代が学生時代に何をやっていたのか、その一端を垣間見ることができて面白かった。革マル派と中核派が元気だったなんて隔世の感がある。学生たちが左翼用語を頻発するところが何とも珍しくて、その頭でっかちなところが滑稽だった。公開当時に見た人はどう思ったか知らないが、現代の僕からすると随分と馬鹿なことをやっていたものだと思う。彼らによると、「表現の自由」は低い次元の話で、映画とは闘争に使うもの、武器として使うものだという。現実に取り組んで、それを直視させるのが目的だそうだ。まるでプロレタリア文学の映画版みたいで、随分とこちこちな芸術観である。学生たちが空理空論を弄ぶ様子は、まるで現代のおたく系サークルといった趣だ。彼らはああやって青春していたのだなと感慨深くなった。

元木と泰子の関係はまるで不条理劇のようで、どこまでが現実でどこからが幻想なのか分からなかった。元木が泰子を強姦する。泰子が元木の邪魔をする。元木と泰子が車で拉致され、泰子がDQNに強姦される。そして、2人はそれぞれ自分の死体を目撃する……。僕はいったい何を見ていたのだろう? 映像表現も実験的で、脳みそを程よく刺激する映画だった。こういう意味不明な映画も嫌いではない。