海外文学読書録

書評と感想

ローベルト・ゼーターラー『ある一生』(2014)

★★★★

20世紀初頭のアルプス。私生児のアンドレア・エッガーは親戚の農場主に引き取られ、過酷な労働に従事させられる。大人になって自立したある日、雪山でヤギ飼いのヤギハネスを助け、死についての予言を受けるのだった。その後、エッガーは運命の女と出会って結婚するが……。

「死ぬってのはクソだな」マトルは言った。「時間がたてばたつほど、人はどんどんすり減っていく。とっとと終わる奴もいれば、ぐずぐず長い奴もいる。生まれた瞬間から、ひとつひとつ順繰りになくしていくんだ。まずは足の指一本、それから腕一本。まずは歯、それから顎。まずは思い出、それから記憶全部。そんな具合にな。で、しまいにはなにひとつ残らない。そして、最後に出がらしを穴に放り込んで、上から土をかけて、それでおしまいさ」(p.51)

20世紀を舞台に前近代的な人生が描かれていて、「生きるとは何か」と考えさせられるものがあった。というのも、主人公のエッガーは特に目標もなく、ただ生きるために生きている男で、地元の村から出ようとしない。彼が外に出たのは戦争に駆り出されて捕虜になり、8年間ソ連に抑留されたときくらいである。それにしたって解放後はまたアルプスに帰ってきて肉体労働をしているのだから驚く。移民文学が全盛の現代において、このような土着性を押し出した物語は珍しい。エッガーの野心のなさには新鮮味すら感じる。

子供の頃のエッガーは、農場主のクランツシュトッカーから疎まれてよく鞭打たれていた。そんな彼も学校で教育を受けて文字が読めるようになる。その際、谷の向こうにある世界へのかすかな予感と恐怖をおぼえるのだった。つまり、エッガーはここから飛び出して人生を切り開く可能性を得たのだ。普通だったらここぞとばかりに都会へ移住するだろう。しかし、彼はそうしない。クランツシュトッカーの家からは出たものの、地元で日雇いの仕事をして糊口をしのいでいる。この徹底した内向き志向は、現代人からしたら神話に見えるくらい古びている。この男はただものではない、と畏怖したのだった。

僕もかつてはそうだったけれど、現代の若者はとにかくイキっていて、SNSなどで「人生楽勝!」みたいな景気のいい書き込みをしては他人を見下している。しかし、人間の寿命は80年もある。好調を維持したまま老年までたどり着けるとは限らない。何度か浮き沈みを繰り返し、気がついたら予想もしなかった場所に流されていることだろう。そして、自分が何のために生きているのか分からなくなって混乱する。もはやレールに乗った人生は送れないのだ。果たして、10年後・20年後はどうなっているか。金持ちになっているかもしれないし、ホームレスになっているかもしれない。結婚しているかもしれないし、独身のままかもしれない。健康かもしれないし、病気を患っているかもしれない。文学作品を読むとそういうことを強く意識させられるので、若者は読書に励んだほうがいいと思う。

小説とは省略の芸術で、本作でもその本領が存分に発揮されていた。たとえば、エッガーは8年間ソ連に抑留されるのだけど、本作はその間のエピソードを一切書かず、すぐに帰郷させている。そうすることで、アルプスでの生活に焦点を定めているのだ。そもそも大胆に省略しなかったら、人一人の人生を150ページに収めるなんて到底できなかっただろう。ここら辺はいかにも現代文学だと感心した。