海外文学読書録

書評と感想

フェデリコ・フェリーニ『カビリアの夜』(1957/伊)

★★★★

娼婦のカビリアジュリエッタ・マシーナ)は恋人に川に突き落とされて一命を取り留める。恋人は金の入ったバッグを盗んで逃げていった。その後、有名な映画俳優(アメディオ・ナザーリ)に誘われ、夢のようなひとときを過ごす。しかし、それもすぐ終わってしまうのだった。ある日、カビリアは会計士のオスカー・ドノフォリ(フランソワ・ペリエ)に声をかけられ……。

全体的に救いのない話だけど、ラストは前向きである。大切な人に裏切られて打ちひしがれているなか、祝祭的な雰囲気に包まれ泣き笑いになる。生きる意欲を喚起させる最高の終わり方だった。さらに、この祝祭が『8 1/2』に発展していくのも感慨深い。監督のサーカス趣味・カーニバル趣味の行き着く先が『8 1/2』なのである。

ジュリエッタ・マシーナの演技が素晴らしかった。妙に気が強く、見知らぬ人に悪態をつき、切りつけるようなコミュニケーションをする。時には楽しそうにマンボを踊り、時にはキャットファイトまで繰り広げる。喜怒哀楽を全力で表現することで無垢な娼婦を好演していた。本作のマシーナは生命力に溢れている。神から祝福されている。物語としては『道』と同工異曲ではあるが、カビリアの人物像によってだいぶ差がついていた。やはり異なる役柄を演じられる俳優は強い。

貧富の差を描写するところはいかにもネオレアリズモだ。

まずカビリアが目の当たりにするのは富裕層の世界である。お高そうなナイトクラブに映画スターの豪邸。だが、それらは見たところ悪趣味だ。特に豪邸は典型的な成金趣味で、変なオブジェがたくさん飾ってある。そして、映画スターは振る舞いも成金だった。脱いだ服を床に投げ捨てている。どうやらメイドに拾わせるらしい。この豪邸が悪趣味なのはおそらくわざで、金持ちの世界の空虚さを物語っている。

次は一転して貧困層の世界を覗き見る。彼らは洞穴に住んでいた。日本のホームレスですらダンボールハウスなのにワイルド過ぎる。ここだけまるで旧石器時代だ。彼らの元にボランティアが来て物資を配っているが、結局は一時しのぎにしかならない。それでも受け取って感謝している。貧困層の世界は見るからに苛烈だった。にもかかわらず、彼らは絶望せずにたくましく生きている。全体として本作は生きることに前向きである。

ミサの行列も鮮烈な印象を残す。ロウソクを持って大勢が教会に向かって歩いている。彼らは神に救いを求めるしかない。「マリアさま、お慈悲を」「どうかお助けください」と切実だ。人生はそれだけつらいのである。つらくなかったら宗教なんていらない。しかし、ここに信仰では救われない人間がいた。それはカビリアである。祈っても何も変わらないことに失望した彼女は一転してミサに泥を塗っている。マリアさまは救ってくれない。不幸な人間にも我慢の限界はあるのだった。

ところが、オスカーに結婚を申し込まれて有頂天になったカビリアは、一転して信仰を受け入れている。修道士に会って懺悔したいと言い出す。その修道士は「神の慈悲に包まれること」と「結婚して子供をたくさん産むこと」をカビリアに説いた人物だった。不幸なときは信仰を拒否していたのに、幸福になった途端信仰を受け入れている。随分と現金であるが、この変わり身の早さが実に人間臭い。カビリアは良くも悪くも純粋で流されやすい性格をしている。

本作はカビリアのファッションセンスが光っている。仕事用の服は普通であるものの、私服が田舎のDQNみたいな柄物でぶっ飛んでいる。上着は背中にでかい刺繍、ズボンはゆったりとしたおばさんパンツである。また、オスカーとのデートの際はセーラー服を着ていた。これがセーラームーンみたいでとても可愛い。目の保養になった。