海外文学読書録

書評と感想

フェルディナント・フォン・シーラッハ『刑罰』(2018)

★★★★

短編集。「参審員」、「逆さ」、「青く晴れた日」、「リュディア」、「隣人」、「小男」、「ダイバー」、「臭い魚」、「湖畔邸」、「奉仕活動」、「テニス」、「友人」の12編。

「なぜ法学を専攻したんだね?」〈おやじさん〉がたずねた。彼の声は柔らかかった。その質問はすでに事務長がして、セイマは答えていた。それが社会の基本であること、また人としての責任や理想の人間形成や法への熱い思いについて語った。説得力のある返答だったはずだ。だが今回は沈黙した。

「なぜだね、セイマ?」〈おやじさん〉はもう一度、小さな声でたずねた。

「二度と他人から指図されたくないからです」セイマも小声で答えた。「法がわたしの権利を守ってくれるはずですから」(pp.167-168)

『犯罪』『罪悪』に比べるといくぶん文芸寄りで、人生の不条理にスポットを当てている。

以下、各短編について。

「参審員」。不幸な男遍歴を重ねてきたキャサリンが、政治団体を経てソフトウェア会社に就職する。そこで参審員に任命されるのだった。キャサリンは精神を病んでおり……。いきなりパンチの効いた短編だった。ドイツの参審員制度は日本の裁判員制度よりも制度設計が甘いのではないか。どんなシステムも冗長性は必要だと痛感する。それにしても、仮に終盤のような不祥事が起きたら、普通はスキャンダルになって法改正にまで至ると思うのだけど。

「逆さ」。酒浸りの弁護士が殺人事件の国選弁護人になる。被疑者には動機も手段も証拠もあったが……。こういう鑑識のミスってドイツではよくあるのだろうか? アメリカの刑事ドラマだったらまず見落とさない。そこは銃社会とそうでない社会の違いが現れていて、仮に日本で同様の事件が起きたら同じ間違いを繰り返すだろう。それはともかく、ヤセルは調書を見ただけでよく真相が分かったものだ。探偵に向いているのではないか。

「青く晴れた日」。乳児を殺した罪で母親が有罪になり刑務所に収監される。出所して自宅に帰ると夫は平然とした態度をしており……。夫の最後は因果応報ではあるけど、女は夫のために数年間棒に振ったわけで、それが補填されないのはやり切れない。そして日本の場合、殺人事件はともかく、交通事故では罪を被ることがけっこうあるので、こういうのは他人事ではないと戦慄する。

「リュディア」。離婚した男が寂しさを埋めるためにラブドールを買う。ラブドールにはリュディアと名前をつけた。男はリュディアと愛を育むが……。こういうフェティシズムって自分にはないけれど、周囲にはよく見られる。たとえば、ペットに対する愛情なんかがそうだろう。畜生を家族同然に扱うなんて僕からしたらあり得ない話だ。人間と家畜の間には一定の線を引くべきだと思う。

「隣人」。24年間連れ添った妻エミリーを亡くしたブリンクマン。そんな矢先、隣の家に夫婦が引っ越してくる。ブリンクマンは夫婦の妻のほうのアントニーアと親しくなる。アントニーアには亡きエミリーの面影があった。犯行の瞬間は「魔が差した」としか言いようがない。けれども、孤独によってそういうコンディションが出来上がったのも事実だ。欲望が法の抑止力を超える。人間とはかくも複雑で恐ろしい。

「小男」。小男のシュトレーリッツは43歳独身。そんな彼がコカインの取引に手を染める。警察に逮捕されて裁判になるが……。一事不再理って先進国ならどの国にもあると思うけど、今回のケースは法の不備ではなかろうか。ドイツだけこうなっているのか。いずれにせよ、法は万能ではないということだ。

「ダイバー」。男女が結婚して夫婦になる。ところが、夫が妻の出産を目の当たりにしてから変になった。彼は自分の首を締めながら自慰をすることになる。散文的な事故を宗教儀礼の枠に入れて語っているところが目新しい。しかし、こういうのって神の恵みによって救われたわけではないんだよね。すべては人の営みによって収まるべきところに収まった。神の介在する余地はない。

「臭い魚」。少年トムが仲間たちに強要されて〈臭い魚〉とあだ名された老人を侮辱する。ところが、トムは老人の真実を知って後悔する。子供たちは子供たちで社会をやっていて、たとえ警官でもその歪みを正すことはできない。大人の視界には入らない子供だけの世界が存在する。思えば、僕の子供時代も似たようなものだった。子供同士の関係が世界のすべてだった。

「湖畔邸」。フェリックス・アッシャーは幼い頃、オーバーバイエルン地方にある祖父の邸に遊びに行っていた。50代になって両親を亡くしたアッシャーは、退職して祖父の邸に住む。ところが……。宅地開発によって静寂が乱されて不快になる気持ちって分からないでもない。僕も子供の頃、実家の隣の空き地に住宅が建ったときは不満に思ったし。それはともかく、結局アッシャーは裁かれなかったけれど、最後まで邸には帰れなかった。邸が死後も残っていることだけが唯一の慰めだろうか。

「奉仕活動」。トルコ移民の娘セイマは、厳格な両親からイスラム教の規範を押し付けられていた。しかし、セイマはそれを嫌がって法の道に進む。弁護士事務所に就職したセイマはある刑事事件を担当するのだった。これは傑作。我々は誰しも希望を持って就職し、しばらくして理想と現実のギャップを知ることになる。ところが、法の世界は想像を絶するものだった。法は弱者を守ってくれない。引いてはセイマのことも守ってくれない。世界は残酷だった。

「テニス」。女の夫はテニスを嗜んでいたが、同時に浮気もしていた。女は浮気の証拠を目立つ場所に置いた後、ロシアに出張する。ちょっと移動するだけで人々の有様がガラリと変わるのがこの世界の恐ろしいところだ。方や優雅にテニスをし、方やどうしようもない事情で薬物に縋り付く。後者の世界では浮気をする余裕なんてないのだろう。そう思わせるだけの迫力がある。

「友人」。「私」の幼馴染リヒャルトは金持ちの子弟だった。長じてからは一族の財産を管理する銀行に就職し、やがて妻も娶る。ところが、そこから身持ちを崩すのだった。金持ちの家に生まれたら何の苦労もないだろう、と思ってたらそうでもなかった。罪は犯してないのに罰を受ける状況は生殺しである。リヒャルトは妻の運命を変えられたかもしれないわけで、人生とはどうかなるのか分からない。