海外文学読書録

書評と感想

ケヴィン・マクドナルド『モーリタニアン 黒塗りの記録』(2021/英=米)

★★★

2001年11月、モーリタニア人のモハメドゥ・ウルド・スラヒ(タハール・ラヒム)がアメリカ同時多発テロ事件に関与した容疑で逮捕される。彼はグアンタナモ湾収容キャンプでアメリカ軍に拘束されることになった。2005年2月、人権派弁護士のナンシー・ホランダー(ジョディ・フォスター)がスラヒの弁護を担当する。一方、政府上層部はスラヒを死刑第一号にしたがっており、スチュアート・カウチ中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)に起訴するよう命令が下った。

原作はモハメドゥ・ウルド・スラヒの手記【Amazon】。

よくあるThis is a true storyだった。BBCフィルムズが製作に絡んでいるだけあって手堅い作りである。題材が題材だけにアメリカ資本は主体になれなかったのだろう。グアンタナモでの拷問は我々にとってもう過去のニュースになってしまったが、改めて振り返るとやはりアメリカはとんでもない国家だと痛感する。敵と認定した相手には容赦しない。わざわざ国内の法が及ばないキューバに収容キャンプを設け、自白を引き出すために連日拷問を行っている。21世紀に、世界最大の先進国が拷問を行っているという事実に驚きを隠せない。当時のアメリカは集団ヒステリーに侵されていたのだ。同胞がイスラム教徒のテロによって殺された。何が何でも復讐してやりたい。敵の人権なんてクソ食らえだ。目的のためなら手段を選ばないその姿勢は傍から見ると恐ろしい。アメリカ、中国、ロシア。この世界を牛耳る大国はどこも狂っている。

アメリカ軍はアルカイダの関係者としてスラヒを拘束した。スラヒはアメリカ同時多発テロ事件でリクルーターをしていたと目されている。しかし、証拠はない。疑惑だけで拘束し、自白を引き出すために拷問している。近代国家において拷問による自白は証拠にならないはずで、発想が中世レベルだから驚く。しかし、これは我々日本人にとって見慣れた光景だ。日本の警察も疑惑だけで逮捕し、拷問まがいの尋問によって被疑者の自白を引き出している。だから冤罪事件が絶えない。まず最初に予断と偏見があり、それに沿ったストーリーに被疑者を乗せている。本邦には冤罪のベルトコンベアーとなる仕組みが存在しているのだ。本作を見ると異常なのはアメリカだけではなく、日本も同様だということに気づく。ただ、日本はアメリカのような大国じゃないから問題が国内に留まっているだけなのだ。こうなると実は国家というシステムが本質的に人権侵害の問題を孕んでいると見るしかない。国家が国民に人権を与えている。だったらいつ国民から人権を取り上げたっていい。大義の前では証拠の捏造なんてお手の物である。そういう驕りが国家というシステムに内包されているわけで、我々はここに近代国家の致命的な欠陥を見る。

ちなみに、本作を見たのは2024年2月18日付けの以下の記事がきっかけだった。

nordot.app

日本政府が来日を計画していたスラヒのビザ発給を拒否したのである。これはつまりアメリカに忖度したのだろう。気高き日米同盟。逆らうものは許さない宗主国アメリカ。日本国民として情けなくなった。