海外文学読書録

書評と感想

大島渚『帰って来たヨッパライ』(1968/日)

★★★

3人の学生(ザ・フォーク・クルセダーズ)が最後の休暇を楽しむため海にやってくる。服を脱いで泳ぎに出ると何者かに服がすり替えられていた。煙草屋の老婆(殿山泰司)に朝鮮からの密航者と間違われた3人はその場から立ち去る。銭湯でくつろいでいると、後ろにいた女(緑魔子)から服を盗むようアドバイスされる。そして、拳銃を持った青年(佐藤慶)と少年(車大善)が現れる。

ヒット曲とタイアップしたコメディかと思いきや、ベトナム戦争の脱走兵というシリアスな問題も扱っている。低予算らしい安っぽさがシュールな雰囲気を醸成していてなかなかすごい。ザ・フォーク・クルセダーズはみんな素人臭い演技だが、それも含めて全体的に胡乱だった。特にループっぽい構成をとることでフィルムを使い回しているのには笑ってしまう。先の展開がまったく読めない脚本もいい。服をすり替える冒頭からシリアスな問題にシフトしていくところは予想外だった。

現代の日本では親ガチャという言葉が流行っている。子供は親を選べない。親次第で人生が決まってしまう。虐待する親、貧乏な親を引いたらその後の人生は困難だ。どの親を引いたかで人生の難易度が劇的に変化する。親ガチャという言葉にはそのような諦観が込められている。そして、実は親ガチャ以前に国ガチャがあるのが実情だろう。アフリカの貧困国に生まれるくらいなら、豊かな日本に生まれるほうが遥かに恵まれている。本作はその国ガチャ問題を扱っている映画だ。

ベトナム戦争には韓国も参戦した。韓国は徴兵制の国だから大半の男は無理やり兵士にさせられる。自国と関係のない戦争に命を張るなんてまっぴらごめんだ、というのが大方の本音だろう。ただ韓国に生まれただけでそのような理不尽な目に遭うのである。一方、隣の国・日本は平和だ。自衛隊は志願制だし、表向きは軍隊を所持していないという体だからベトナム戦争に出兵することもない。戦乱の最中でも日本国民はのんびりしたものである。ただ日本に生まれただけで平和を享受できているのだ。方や戦争に借り出される韓国人。方や穏やかな日常を送る日本人。国ガチャ次第で雲泥の差である。日本人と韓国人は長らく歴史問題を巡って争ってきたが、どの国に生まれるか選べない以上、そのようなナショナリズムは不毛ではないかと感じる。我々はたまたま日本に生まれただけだし、彼らはたまたま韓国に生まれただけだ。国ガチャという運命には交換可能性がある。遠くにいる他者はあり得たかもしれない自分だ。本作で国籍交換のギミックが使わているのはそのことを念頭に置いているのだろう。人間は誰しも生まれる場所を選べない。その事実には普遍性がある。

内容以外で興味を引いたのが当時の物価だった。しんせいという煙草が50円で売られている(最近まで40円だったらしい)。その後、しんせいは2016年に280円、2018年には350円に値上げされた。煙草が1箱50円で買えたなんて現代人には信じられない。昔の映画を見ると物価が今とだいぶ違っていてびっくりする。