海外文学読書録

書評と感想

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『マリア・ブラウンの結婚』(1979/独)

★★★★

1943年のベルリン。爆撃に晒されるなか、戸籍登記所でマリア(ハンナ・シグラ)とヘルマン(クラウス・レーヴィッチェ)が略式結婚式を挙げる。ところが、半日と一夜すごしたところでヘルマンが出征することに。戦後、マリアは米兵専門のバーで働き、黒人兵ビル(ジョージ・バード)と知り合う。ヘルマン戦死の報を受けたマリアはビルの子供を孕むが……。その後、色々あってマリアは実業家オズワルド(イヴァン・デニ)の秘書になる。

ドイツの戦後史と庶民のメロドラマを重ねていて面白かった。本作は西ドイツの再軍備が宣言され、サッカー・ワールドカップで西ドイツが優勝する1954年に幕を閉じる。再軍備とはつまり西ドイツの主権が回復することを意味するし、ワールドカップでの優勝は国威が最高潮に達する瞬間である。この年、敗戦国ドイツは国家として大切なものを勝ち取った。そこにああいう皮肉なエンディングを被せてきたのだからすごい。名実ともに戦後の混乱期を脱し、プライベートでは新生活をスタートさせる矢先の出来事である。僕もちょっと捻くれた人間なのでこういう一撃は嫌いではない。明るい未来に冷や水を浴びせる感じが良かった。

マリアはヘルマンのことを愛している。出会って三週間で結婚し、夫婦になってからは半日と一夜しか過ごさなかった。それでもヘルマンのことを愛している。本作の大きな特徴は2人の結婚生活が先延ばしにされることだ。死んだと思われたヘルマンが復員してきた。これから新生活が始まるのかと思いきや、ヘルマンは刑務所で服役することになる。その間、マリアはオズワルドの力を借りて経済的に成功するのだった。性的魅力に溢れたマリアは当たり前のようにオズワルドの愛人になっている。ところが、彼女が一番愛しているのは獄中のヘルマンなのだ。マリアはヘルマンの出所を待ちわびている。先延ばしにされた結婚生活は、ヘルマンの出所後さらに先延ばしにされる。なぜならヘルマンが行方をくらませたから。そして、ヘルマンが帰ってきて願いが叶うと思ったとき、とんでもない一撃によって幕を閉じる。その一撃は歪んだ三角関係を精算した形になった。面白いのはそこに至るまでのカウントダウンで、サッカー・ワールドカップの決勝戦(西ドイツ×ハンガリー)と重なるのが堪らない。西ドイツ絶頂の瞬間に果てるとはまるで腹上死である。

契約がキーワードになっている。結婚も紙切れ一枚の契約なら、ヘルマンとオズワルドが結んだ契約も同様である。マリアは2つの契約に翻弄されることになった。マリアは夫がいながらもオズワルドの愛人になっていて、どこかポリアモリーっぽい雰囲気を漂わせている。オズワルドの愛人になることは成り上がるために必要だったし、夫がいない寂しさを埋め合わせるためでもあった。この世で一番愛しているのは夫だが、夫がいない以上夜には代わりの男が欲しい。この感覚はわりと理解できる。男だって連れ合いがいても風俗くらいは利用するから。一方、よく分からないのがヘルマンとオズワルドだ。というのも、2人は契約によってマリアを共有したのである。ヘルマンにとってこの契約はオズワルドの遺産が手に入るから悪くない。また、オズワルドにとっては穏便に人妻を愛せるから悪くない。両者Win-Winの関係だ。でも、この関係って気持ち悪くないだろうか? 同じ女を愛した男たちがトラブルを避けるために同盟を結ぶ。公然と穴兄弟になることを認める。女の気持ちが蔑ろにされていてグロテスクだ。そして、グロテスクだからこそ我々の好奇心を刺激する。歪んだメロドラマが本作を高みに引き上げている事実は否めない。

戦後の西ドイツでは女も男と同等に生きることが奨励された。その帰結があのラストだとしたら救われない。「経済復興時代のマタ・ハリ」はマタ・ハリゆえに幸福を掴めないのだった。