海外文学読書録

書評と感想

滝沢英輔『祈るひと』(1959/日)

★★★

妙齢の三沢暁子(芦川いづみ)は豪邸で母・吉枝(月丘夢路)と二人暮らし。そこへ蓮池弘志(小高雄二)との縁談が持ち込まれる。ところが、暁子は両親を反面教師にして結婚には乗り気ではない。暁子の父・恭介(下元勉)は生前有名な国文学者だったが、家庭的には冷たい男だったのである。現在、吉枝には庫木(金子信雄)という愛人がいて……。

原作は田宮虎彦の同名小説【Amazon】。

いかにも昭和の文芸ものという感じだった。過去と現在を行きつ戻りつする構成やモノローグを多用するところに小説の名残が見られる。そして、注目すべきは家族関係に托卵をぶち込んできたところだろう。父が娘に冷たかったのは托卵されたと疑ったのが原因で、娘が父のことで悩んでいたのもそこに帰結するのである。しかし、その托卵は父の勘違いに過ぎなかった。母は貞操を守っていたのだ。父は托卵を疑ったゆえに娘に冷たく、托卵されたと思い込んだままあの世に逝った。これは偏見だが、昭和って捻じくれた家庭の話が多すぎやしないだろうか。血の繋がりが今よりも重視されていた時代だから、托卵も現代人が想像する以上に屈辱的だった。モズとカッコウのエッセイに父の苦悩が垣間見えて近代家族のドロドロした部分に圧倒される。

暁子は典型的な「父の娘」で、それゆえに結婚に幸せを見出せないでいる。三沢家は家父長制の家庭である。母は父が生きている間はビールも飲まなかった。そんな家庭で育った暁子は父を規範とし、同時に父に反発している。そうやって自己形成してきたから女としての生き方に折り合いがつかない。周囲は結婚するようせっついているのにそれが幸せかどうか疑念を抱いている。要するに父の死後も父に縛られているのだ。本作は全編を通じてその呪縛を解きほぐしていく物語で、「父の娘」が自立していく様子を丁寧に描いている。戦後民主主義の時代において女はいかにして生きるべきか。その答えはなかなかモダンでおよそモノクロ映画とは思えなかった。たとえば、本作の10年前に公開された『晩春』に比べると間違いなく進んでいる。

見合い相手の蓮池があまりにノンデリでびっくりする。初対面で身内の悪口を言ったことで暁子との距離を縮まった。ところが、その後は自分本位の言動をして暁子に振られている。そもそもデートに誘った場所がおかしかった。初デートは映画館で西部劇。蓮池は面白そうに見ていたが、暁子はつまらなさそうだった。そして、次は競馬場でレース観戦。蓮池は面白そうに見ていたが、暁子はつまらなさそうだった。つまり、蓮池は相手を楽しませようとしていない。自分だけ楽しんでいる。そんなものデートと呼べるだろうか。粗野な蓮池はある人物から「男らしい」と評されているが、単にマイペースなだけだろう。他人を引っ張っていく部分だけ評価しても仕方がない。蓮池には「有害な男らしさ」が見て取れる。

回想で高校時代の暁子が出てくる。演じているのは芦川いづみ。三つ編みにセーラー服がとてもよく似合っていた。当時の芦川いづみは24歳だが、高校生と言われても違和感がない。むしろ、そのままの設定で一本映画を撮ってほしかったくらいである。可憐な女子高生が見れて目の保養になった。