海外文学読書録

書評と感想

川島雄三『愛のお荷物』(1955/日)

★★★

厚生大臣・新木錠三郎(山村聰)は、増えすぎた日本の人口を抑制すべく「受胎調節相談所設置法案」を可決させようとする。そんな矢先、錠三郎の妻・蘭子(轟夕起子)が48歳にして妊娠するのだった。また、錠三郎の息子・錠太郎(三橋達也)も、父の秘書・五代冴子(北原三枝)を妊娠させている。さらに、末娘・さくら(高友子)は結婚を控えていたが、その前に妊娠してしまうのだった。産児制限を謳う厚生大臣の家で次々と妊娠が発覚する。

戦後のベビーブームを背景にしたコメディ。人口が増えすぎたから産児制限をするなんて、少子化に悩む現代の日本人からしたら隔世の感がある。ちなみに、1947年から1949年の合計特殊出生率*1は4.4もあった。それが2022年になると1.26まで減っている。人口も1955年は9000万人だったが、2008年に1億2800万人のピークを記録してからは減少に転じ、2070年には8700万人まで減ると予測されている。人口動態から明らかな通り、日本は衰退の一途を辿っていた。2023年に政府はこども家庭庁を発足させて少子化対策に乗り出した。しかし、これは焼け石に水だろう。今後も豊かな生活を送りたかったら移民を受け入れるしかない。日本はそういうところまで追い詰められている。

産児制限と聞くとぎょっとするのは、それが人権問題だからではないか。本来だったら子供を産む・産まないは国家が介入すべき問題ではない。ところが、産児制限は国民の自由意志に著しい制限を加えている。この辺は中国の一人っ子政策を例に出すと分かりやすいだろう。国家が出生数を制限することはほとんど全体主義に等しい所業だった。一方、「産めよ殖やせよ」はどうか。こちらもグロいことに変わりないが、ある種のポジティブさに彩られている。というのも、一般的に子供が生まれることは慶事であるから。子供が増えれば増えるほど幸福の総量は増大する。たとえ国家の都合とはいえ、子供を増やす政策は善行に手を貸すことと同じなのだ。だから産児制限に比べると少子化対策には受け入れやすい素地がある。どちらも人口を管理することに変わりはないのだが。ともあれ国家にとって人口はパワーであり、そのパワーが将来なくなることを我々は危惧している。そんな現在からするとベビーブームが眩しく映るのだった。

本作は饒舌な会話劇になっていて、登場人物はみな丁々発止のやりとりを繰り広げている。特に三橋達也演じる錠太郎は落語家のように軽妙だ。ただ、コメディらしく可笑しみがある反面、時々回りくどく感じることもあって微妙だった。端的に言って、溜めを作り過ぎである。大方の会話は話の道筋が見えているから冗長なのだ。結論が分かっているのにわざわざ迂回するような会話は聞いていてうんざりする。先延ばしにするな、と叱りつけたくなる。コメディとしては古いタイプでなかなかきつかった。

この頃の三橋達也は不肖の息子役がよく似合っている。つまり、一人前になるかどうかの境界線上にいる人物である。まだまだ頼りないが、これから自立しそうな感じ。若者と呼ぶにはとうが立っているが、中年と呼ぶには未熟な感じ。アラサーのドラ息子。ちょっと軽薄に見えるところに味がある。

*1:1人の女性が一生の間に産むと想定される子供の数。