海外文学読書録

書評と感想

崔洋一『十階のモスキート』(1983/日)

★★★

男(内田裕也)は交番勤務の巡査部長。妻のTOSHIE(吉行和子)と離婚し、娘のRIE(小泉今日子)は妻のところで暮らしながら竹の子族をしている。男はスナックにツケがあり、慰謝料・養育費の支払いも滞っていた。そんな彼は40万円のパソコンを買う。男は消費者金融で借金を重ねて多重債務者となるが……。

わざわざDVDを買わなくてもプライム・ビデオの日活プラスで見れるが、はてなブログのシステムだとなぜか検索に出てこない。Amazonの検索だと出てくるので、見たい人はそちらで検索するといいだろう。

『コミック雑誌なんかいらない!』『水のないプール』、本作と内田裕也主演の映画を3本見たが、役者としての内田裕也は役者としてのビートたけしに似ている。すなわち、喜怒哀楽を表に出さない不器用な中年男性。不器用だから社会に馴染めず、アウトサイダーな生き方を余儀なくされている。そして、演技も決して上等とは言えない。どちらも自身の存在感のみで画面に屹立している。2人はなぜこんなに似ているのだろう? 偶然なのだろうか? ともあれ、今まで内田裕也のことは白髪頭でシェキナベイベーしている老人という認識だったが、一連の映画を見てハードボイルドなおじさんという認識に変わった。役者としての内田裕也は役者としてのビートたけしと同じくらい魅力がある。そのことが分かっただけでも収穫だった。

レールから外れた人生も地獄だが、レールに乗った人生も地獄だと痛感した。男の職業は警察官である。稼ぎは少ないものの会社が潰れることはないし、定年後は恩給が保証されている。しかし、一発逆転の夢はない。出世するためには実務をこなしつつ勉強して昇進試験に合格しなければならない。これがなかなかハードだ。一向に出世できない男は、稼ぎが少ないという理由で妻に捨てられている。夫婦関係において、夫に求められているのはATMとしての役割なのだ。家庭のためにバリバリ働いてバリバリ稼ぐ。こんな人生のいったい何が楽しいのだろう? 結婚して可愛い娘が生まれても幸せを掴めない。離婚後も相も変わらぬ交番勤務が続いている。この日本で男に生まれることは不幸でしかない。成人したら最後、みな働きアリとして一生を終えることになるのだから。世間の人たちがギャンブルに走る気持ちも今なら理解できる。一発逆転の夢を見たいと思うのは当然だろう。

健全な男にとって最高の気晴らしは酒と女だ。スナックにはその両方が揃っている。本作の男もそこの常連である。最近、『スナックバス江』というアニメを見ているのだが、社交場としてのスナックは確かに魅力的だ。中年になるとお互い忙しくて若い頃のような友達付き合いができない。だから自分の好きなタイミングで通えるスナックは都合がいいのである。女の子と酒を飲みながらお喋りして気を紛らわす。人間にとって最大の娯楽は気の置けない人とのコミュニケーションなのだ。文学や映画、アニメでは我々の孤独は癒やされない。どんな人間嫌いでも寂しいときには人間を求めるという矛盾がある。そこが人生のつらいところだ。

孤独は人を狂わせるが、それ以上に人は金がないと狂ってしまう。しかし、一発逆転の夢はない。一度借金をしたら最後、蟻地獄のように底まで引きずり込まれる。たとえレールに乗った人生を送っても、一歩間違えただけでこうなってしまうのだ。親方日の丸の職業でも安心できない。結婚して子供が生まれても安心できない。そこから離婚して諸々の支払いに悩まされ、借金地獄に落ちるのは容易である。無難な人生を送ることの何と難しいことか。我々は思い通りに生きることができず、それゆえに苦しみを味わっている。こういうときに重要なのがセルフケアなのだろう。それは昨今の文学的主題である。日常に押し潰されないための予防策。本作を見て自分をケアすることの大切さを思い知った。僕もそろそろスナック通いを始めたほうがいいのかもしれない。