海外文学読書録

書評と感想

ヴィム・ヴェンダース『さすらい』(1976/独)

さすらい(1976)(字幕版)

さすらい(1976)(字幕版)

  • リュディガー・フォーグラー
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★★★

ブルーノ(リュディガー・フォーグラー)は古いキャンピングカーに寝泊まりし、仕事は各地の映画館を回って映写機の修理をしている。ある日、彼はロベルト(ハンス・ツィッシュラー)という男と出会う。ロベルトは離婚したばかりで、車でエルベ川に飛び込んでいた。2人で一緒に旅をする。

ひとことで言えば、孤独についての映画だ。ブルーノは一人で根無し草の生活を送っていたが、そこへひょんなことからロベルトが侵入してくる。旅を通じて様々な人と出会うのだった。また、映画技師の仕事に象徴される通り、本作は映画愛を表明した映画でもある。この部分は『ニュー・シネマ・パラダイス』ほど臭くなかったので良かった。

ロベルトは自殺未遂をするくらいだから過去に色々あったはずだ。ところが、ブルーノは当初、そんな彼の事情を聞きたくないとシャットアウトする。この時点で分かっていることは、ロベルトが9桁の番号(市外局番)に電話をかけていること、小児科医に近い職業であること、妻と別れたばかりであることくらいである。なぜブルーノはロベルトの過去を知りたがらないのか? それは自分に過去がないことを突きつけられるからだ。ロベルトには過去があり、土地に根付いた生活がある。それに対し、戦争で父を亡くしたブルーノには根っこがない。推測だが、この時点ではそういう心情だったはずだ。しかし、旅を続けていくことで打ち解け、2人で色々な会話をするようになる。そして、ブルーノがかつて住んでいた空き家に2人で泊まることで、彼の心変わりが決定的となる。子供の頃の宝物を掘り出したブルーノは、自分にも過去があったことを知って安心するのだ。これまで旅の途中で複数の人と出会い、彼らの身の上話を聞いてきた。「人生は一度だけなのにさまざまだ」は本作を集約したセリフだ。孤独なブルーノもそんな彼らの一員になれたのである。

とはいえ、ブルーノは今の生活を愛している。彼にとってキャンピングカーは安全地帯であり、そこで暮らしていれば孤独の殻に引きこもっていられる。さすらいのブルーノは極端な個人主義者なのだ。そんな彼には何をしても孤独という諦念がある。女とセックスしても孤独を感じているのだから筋金入りだ。ブルーノにとって人は通り過ぎていく存在で、親密になったロベルトも最終的には通り過ぎていった。ブルーノはまた一人に戻った。これはこれで寂しい。しかし、人生とはそういうものなのだろう。2人が別れた後、線路と道路が交差するショットがそれを象徴している。人と人との関わりはどれも一時的な交差に過ぎない。人間とは本質的に孤独な存在であることが窺える。

印象に残っているシーン。子供たちの映画上映会で機材トラブルになった。それを2人で直しに行くが、急遽スクリーンの裏で影絵のパフォーマンスをすることになる。演者も観客も心の底から楽しんでいて幸せそうだった。また、補助席付きのバイクでドライブするシーンもいい。バイクの後ろをカメラが追いかけている。道路には他に走っている車両がなく、バイクはすいすい進んでいる。永遠に見ていたい光景だった。