海外文学読書録

書評と感想

フェルディナンド・バルディ『アヴェ・マリアのガンマン』(1969/伊=スペイン)

★★★

荒野で一人暮らししているセバスチャン(レオナード・マン)の元に負傷した男がやってくる。彼の名はラファエル(ピーター・マーテル)。セバスチャンの幼馴染だった。ところが、セバスチャンは記憶喪失で過去のことが分からない。ラファエルによると、セバスチャンの父はメキシコ軍のカラスコ将軍(ホセ・スアレス)であり、妻アンナ(ルチアナ・パルッツィ)と愛人トマス(アルベルト・デ・メンドーサ)が結託して将軍を殺したのだという。また、当地には生き別れの姉イザベル(ピラール・ヴェラスケス)もいるらしい。セバスチャンとラファエルは復讐のためメキシコに旅立つ。

マカロニ・ウェスタン。インスタントな小品だった。安くて早くてそこそこ美味い映画である。総じて盛り上がりには欠けるのものの、型にはまっているうえ上映時間が短いからさほど不満はない。重要なシーンがカットされているのでは、と疑うくらいタイトに作られている。良くも悪くも量産品で志が高くないのだ。『孤独のグルメ』【Amazon】に出てくる「こういうのでいいんだよ」を体現している。

復讐の対象は誰なのか? トマスは当然として母親アンナも含めるのか? しかし、アンナはセバスチャンたちのことを気にかけていて憎みきれない。共犯者ではあるものの同情の余地はある。復讐とはいえ母殺しはハードルが高いだろうと思っていたら、そこは上手く決着をつけていた。この結末はご都合主義ではあるけれど、ちゃんと因果応報は果たしている。罪を犯した者は相応の報いを受けなければならない。裁きの手が誰であろうとも。フィクションでは公正世界仮説が支配的なのだった。

セバスチャンは主人公のわりに空虚で、ラファエルのほうがよっぽど人間味がある。セバスチャンが空虚なのは記憶喪失だからだろう。彼は幼いときの惨劇を覚えてない。ラファエルに促されるまま復讐の旅に出ている。要は動機が不在なのだ。ラファエルもイザベルもトマスを憎んでいる。しかし、記憶のないセバスチャンに憎しみはない。過去に因縁があったらしいからとりあえず復讐しておこうみたいな体である。だから復讐を果たしてもカタルシスがない。銃撃戦もエンディングも淡々としている。

終盤でアンナとトマスが明かした真相は必要だったのだろうか? 確かにサプライズではあるが、特に大筋が変わるわけでもないと思う。強いて言えば、アンナが子供たちを愛していたことに深みが出ることくらいだろう。血は繋がっていないのにあれだけ愛していた。健気な母親だ、と。セバスチャンが記憶喪失であること、アンナが実の母親ではないこと。これらが物語と上手く噛み合っていない。だからインスタントな小品に留まっている。

パンや肉など、食べ物の原始的な見てくれが良かった。パンはベタッとしているし、肉はワイルドな調理法で雰囲気が出ている。時代劇でもっとも重要なのは小道具だと確信した。