★★★
物理学者のロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は戦時中にロスアラモスで原爆を開発し、戦後は「原爆の父」と持て囃される。ところが、原子力委員長のルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)が彼の失脚を画策。オッペンハイマーはソ連のスパイ容疑で聴聞会にかけられる。ストローズはオッペンハイマーに私怨を抱いていた。
原作はカイ・バード、マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー』【Amazon】。
時系列を錯綜させ、短いシーンを矢継ぎ早に繰り出すダイジェスト構成になっている。180分(3時間)の長尺であるが、あまり長さを感じさせない。体感で120分(2時間)といったところである。もちろん、飽きずに最後まで見れるのはいいことで、観客のアテンションスパンに配慮したユーザーフレンドリーな構成はとっつきやすい。その一方、大作映画といった風格はなく、事前に想像していたような充実感はなかった。この構成が本作を評価する際の大きなポイントになるだろう。過度にユーザーフレンドリーな構成は果たしていいことなのか。ハリウッド映画も経済的に語る技術が飛躍的に発達したが、そのせいで失われたものが大きいと感じる。
実は本作を見る前に原作を読んだ。浩瀚な伝記で全部読むのに5日かかった。そのうえで本作を見ると、短い時間に小ネタを大量に詰め込んでいるのが分かる。『資本論』を原書で読んだとか、大学時代の毒リンゴ事件とか。あるいはサンスクリット語の経典も読めるとか、T・S・エリオット『荒地』を読んだとか。序盤に詰め込まれたこの情報量は尋常ではない。未読の人は理解できるのだろうか、と心配になるほどだった。
原作によると、オッペンハイマーは赤狩りでパージされた結果、返って国内外で名声を高めたという。それまでの「原爆の父」に加え、「ガリレオのように迫害された科学者」というイメージも得ていたのだ。しかし、映画はそういった部分を敢えてカットしている。その代わり、焦点になっているのは科学者としての倫理だ。物語を通して、業績の結果に対峙する様子が描かれている。原爆についてオッペンハイマーは、「一度使えば核戦争を考えなくなる」という思惑だったが、一方で日本の都市部に落とせばどれくらいの被害が出るかは分かっていた。この点、「開発した」だけでは済まない責任がある。戦後は水爆に反対し、核軍縮も訴えたオッペンハイマー。そういった知識人の内奥に潜む罪悪感に切り込んだところが本作の白眉である。
トリニティ実験のシークエンスはだいぶ劇的に作られていて見応えがあった。地味な本作においてもっともスリリングで見栄えのする映像になっている。実験の手順をきっちり描き込んでいるため、結果は分かっていてもやはり手に汗握るのだ。スタッフの緊張感はこちらにも伝わってくるほどだったし、爆発のあとに音と爆風が時間差でやって来るところは臨場感がある。頭では平和の大切さが分かっているのに、本能的な部分で破壊や暴力に魅せられてしまう。人間の業を自覚せざるを得ない。
ストローズがオッペンハイマーを憎むようになったきっかけは初対面のとき、自分の出自を「卑しい」と貶められたからである。金持ちのオッペンハイマーにとっては無意識から出た何気ない一言だったが、ストローズにとっては生涯引き摺るほどだった。この点では僕はストローズ側の人間なので彼に同情してしまう。