海外文学読書録

書評と感想

シャンタル・アケルマン『オルメイヤーの阿房宮』(2011/ベルギー=仏)

オルメイヤーの阿房宮(字幕版)

オルメイヤーの阿房宮(字幕版)

  • スタニスラス・メラール
Amazon

★★

東南アジアの奥地。河畔の小屋に白人のオルメイヤー(スタニスラス・メラール)が住んでいる。彼は金鉱の採掘権と引き換えに現地人女性(サクナ・オウム)と結婚して娘をもうけた。娘の名はニナ(オーロラ・マリオン)。オルメイヤーは義父のリンガード船長(マルク・バルベ)から援助を受け、ニナを白人用の寄宿学校に入れる。オルメイヤーはニナを白人として育てたかった。ところが、妻もニナも嫌がっている。どちらも見た目がマレー人そのものだった。

原作はジョゼフ・コンラッド『オルメイヤーの阿房宮』【Amazon】。

ポストコロニアル風の白人批判が展開されている。原作もそうなのだろうか? 原作は1895年出版だから時代的にちょっと考えにくい。作品に通底する感覚があまりに現代人寄りなのだ。監督がアレンジしたと考えるのが妥当だろう。ただ、そうするとこの白人批判はいささか古すぎる。というのも、ポストコロニアル文学が流行ったのは1980年代である。本作公開時にはもう廃れていた。白人を批判し、啓蒙主義をヨーロッパ中心主義と切り捨て、西洋と東洋の隔たりを殊更強調する。やっていることはオリエンタリズムの強化である。21世紀にもなってこの感覚なのには面食らった。

ニナは白人とマレー人のハーフだが、見た目はもろにマレー人である。白人の血が混ざっているとはとても思えない。そして、彼女のナショナル・アイデンティティはマレー人のものだった。だから白人の寄宿学校に入るのを嫌がっている。教育によってヨーロッパ化するのを拒否している。実際、寄宿学校に入ったときは周囲が白人だらけで浮いていた。彼女の様子を見に行った使用人は、「ニナはますます不幸になっていった」と述懐している。人種の壁は超えられないということだろう。生まれ育った土地で、生まれ育った文化に染まり、自分と同じ人種と結婚する。それが幸せの一つの形なのは重々承知している。しかし、それでいいのだろうか。肌の色で現実の可能性が狭められてしまう。見た目が違うだけで異文化から弾き出されてしまう。西洋と東洋の断絶が根深いことを今になって示していることに疑問を感じた。

ポストコロニアルな作風は別に悪いことばかりではない。周縁の人物に声を与えているところは特筆すべきだ。たとえば、オルメイヤーの妻ザヒラ。オルメイヤーから見た彼女は野蛮人そのものだが、ニナと一緒のときその心中を曝け出している。曰く、夫とは愛がなかった。自分は白人男の召使いだった。ニナがいることでかろうじて繫がっている仲だった。そこには抑圧された一人の女性がいる。こういう人物にフォーカスしたところは数少ない美点だったかもしれない。

相変わらず、要所要所で長回しを使用している。良かったのは、ニナが街を歩いているところをカメラが平行して追っていくシーン。背景にいる人々の営みが映えている。また、終盤でニナとデイン(ザック・アンディアナ)が浜辺から船に向かって歩いていくシーンも風情があって眼福だった。一方、駄目だったのがラストシーン。オルメイヤーの表情をひたすら映すところがあざとかった。率直に言ってくどすぎる。