海外文学読書録

書評と感想

ヴィム・ヴェンダース『パリ、テキサス』(1984/独=仏=英=米)

★★★

テキサスを放浪していたトラヴィスハリー・ディーン・スタントン)が行き倒れになり、弟のウォルト(ディーン・ストックウェル)が引き取りに行く。トラヴィスは4年前に妻子を捨てていた。息子のハンターは今年8歳。ウォルトとアン(オーロール・クレマン)の夫婦によって育てられている。トラヴィスの妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)も行方不明になっていた。トラヴィスはロサンゼルスの弟宅で過ごす。

ツッコミどころの多い内容だけど、撮影はなかなかいい。特に夜間はライトで色調を統一していて拘りを感じる。あるシーンでは灰色、あるシーンでは赤、あるシーンでは緑。昼間のカラフルな色合いとは違った一種の幻想的な深みがある。

実の息子とはいえ、ハンターは4年間弟夫婦の元で育てられた(ハンターにとっては人生の半分)。そんな弟夫婦からハンターを奪っていいのだろうか。トラヴィスもジェーンも育児放棄していたのである。それを今更引き取るのは道理に反している。しかも、トラヴィスはハンターをグルーミングしているのだ。2人は当初ぎこちなかったものの、接触を重ねていくことで距離が縮まっていく。そして、遂にハンターはトラヴィスを父親だと認めるようになった。グルーミングとはすなわち洗脳である。息子を洗脳して一緒に母親ジェーンを探しに行く。紆余曲折の末に再会。トラヴィスは息子をジェーンに預けて去っていく。しかし、こういったハートウォーミングな展開は弟夫婦の犠牲の上に成り立っている。そこが腹立たしい。

ラヴィスが去ってしまったため、ジェーンはシングルマザーとして息子を育てなければならない。ジェーンは覗き部屋でストリップ女優をして生活している。そんな彼女に子供を育てられるだろうか。これだったら弟夫婦が育てたほうが断然いいだろう。弟夫婦は地に足をつけて生きている。ハンターからすれば環境が悪化したわけだが、一方で彼は父親のグルーミングによって洗脳されている。だからこの状況を受け入れるだろう。母親のことなんてろくに覚えてないのに。そこが腹立たしい。

ラヴィスは4年間テキサスを放浪していた。その間どうやって生活していたのか。おそらく日銭を稼いでいたはずだが、彼にそういう能力があるとは思えない。冒頭ではくたびれたスーツを着て、赤いキャップを被り、濃い髭を生やしている。誰に話しかけられても無言だった。迎えに来た弟も口を開かせるのに四苦八苦している。このような状況で金を稼ぐのは不可能だろう。荒野での放浪はインパクトを醸成するためだけに作られている。どうやって生活していたかは想定してない。そこが腹立たしい。

ラヴィスとジェーンがマジックミラー越しに会話するシーンが本作のハイライトである。ここは2人の気まずい関係をひと目で分からせていて感心した。トラヴィスはジェーンのことを見ている。一方、ジェーンからはトラヴィスが見えない。トラヴィスはジェーンのことをジェーンだと認識している。一方、ジェーンは相手が誰なのか認識してしない。そういった非対称性の中、トラヴィスは一方的に自分の思いを語り続ける。序盤で無言だったのが嘘であるかのように。懺悔部屋で神父に告解するかのように。ここにトラヴィスの弱さとエゴが表れている。

妻子を捨てて放浪したのもエゴなら、息子を連れて妻を探しに行ったのもエゴ。そして、妻に息子を預けて再び放浪したのもエゴである。この映画、トラヴィスの徹底したエゴが凄かった。一人で状況をかき回している。