海外文学読書録

書評と感想

ヤン・シュヴァンクマイエル『オテサーネク』(2001/チェコ=英)

オテサーネク (字幕版)

オテサーネク (字幕版)

  • ヴェロニカ・ジルコヴァー
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★★★

カレル・ホラーク(ヤン・ハルトゥル)とボジェナ・ホラーク(ヴェロニカ・ジルコヴァ)はは不妊に悩まされている夫婦。ある日、カレルが木の切り株を掘り出し、それを赤ん坊の形にしてボジェナに渡す。ボジェナはそれを本当の赤ん坊と思い込み、妊娠を偽装することにした。赤ん坊はオチークと名付けられる。一方、少女アルジュビェトカ(クリスティーナ・アダムコヴァ)はそんな夫婦の秘密を知り……。

チェコの民話「オテサーネク」を下敷きにしている。作中にその民話を題材にした絵本が出てくるのだが、それが予言の書になっているところが面白い。アルジュビェトカは予言の成就を阻止しようとする。

食欲がモチーフの一つにある。まずは人間の食欲。食事は例によって不味そうだ。色の濁ったスープに釘が吸い込まれる。折檻を受けてスープが顔面に飛び散る。人間の食事シーンはたくさんあって、どれもネガティブな表現がされている。

そして、オチークの食欲。この生き物は食欲が旺盛で何でも食べる。ミルクや離乳食だけでは飽き足らず、猫や人間までも捕食している。食べるのことの禍々しさを極端な形で表現しているのだ。生きるためには食べなければらない。しかし、その食事は美食から程遠い。オチークは人倫にもとるものを貪り食っている。

ここで思い出すのが、メルヴィルの『書記バートルビー』だ。アメリカ文学者の都甲幸治によると、同作は摂食障害の文学なのだという*1。本作も摂食障害の映画と言えるが、それは『書記バートルビー』のような拒食症ではない。正反対の過食症だ。本当は食べたくないのに無理やり食べている。劇中における食事の過剰さは目に余るほどで、飽食の時代を反映していると言えるだろう。本作からは食べることの苦しみが見て取れる。

性欲もモチーフの一つである。そもそも赤ん坊は性欲の産物だ。子供は性行為を通じて誕生する。しかし、ホラーク夫妻は不妊症であるため、性行為を回避して赤ん坊を手に入れた。その存在は常軌を逸しており、赤ん坊は食人木となって夫婦を振り回している。食人木は生命のエゴイズムを戯画化した存在で、その点では人間の赤ん坊と変わらない。食人木と赤ん坊は性欲を挟んだメビウスの輪である。性欲から生まれなかった食人木は怪物となり、性欲から生まれた赤ん坊は人間になる。そういう理がある。

面白いのは老人の性欲が描かれているところだろう。ジュラーベク(ズデニェク・コザーク)という老人はアルジュビェトカに発情している。ジュラーベクは小児性愛者だった。方や性欲の不在。方や過剰な性欲。本作に健全な性欲は出てこない。食欲と同様、性欲もまた歪んだものとして提示されている。

母性もモチーフの一つである。ボジェナとアルジュビェトカは一貫してオチークに味方している。2人ともオチークが食人しているのを肯定しているのだ。母性による盲目的な愛によって子供の罪が正当化される。こういうのを見ると、母性とは狂気の言い換え表現なのだと痛感する。

というわけで、食欲・性欲・母性の歪みが半端なかった。