海外文学読書録

書評と感想

ハーマン・メルヴィル『書記バートルビー/漂流船』(1853,1855)

★★★★

日本オリジナル編集の短編集。「書記バートルビー」、「漂流船」の2編。

あの書記に関わるこれらの面倒ごとは、すべて永遠の昔から自分に運命付けられているということ、そして全知の神の不可測な目的、私のようなただの人間が推し量ることのできない目的のために、バートルビーは私に与えられたのだ、と次第に確信するようになっていったのです。(Kindleの位置No.780-782)

以下、各短編について。

「書記バートルビー」(1853)

ウォール街。法律事務所を営む「私」は、ターキーとニッパーズというあだ名の筆耕と、ジンジャーナットというあだ名の使い走りを雇っていた。ある日、仕事が忙しくなってきたため、新しい書記を雇い入れることにする。彼の名はバートルビーだった。バートルビーは当初、尋常でない量の仕事をこなしていたが、「私」がある仕事を頼んだ途端、「わたくしはしない方がいいと思います」と言って拒否する。

こういう寓話は読者が各々自分の物語を組み立てるための材料であって、はっきりとした正解はないのだと思う。本書の解説では資本主義の論理を補助線にして解釈しているけれど、これだって唯一無二の正解ではない。たとえば、2000年にはエンリーケ・ビラ=マタスが『バートルビーと仲間たち』【Amazon】という素敵な小説を発表している。ここでは突然ものが書けなくなった作家を「バートルビー症候群」と呼んでいて、なるほど、こういう解釈の仕方もあるのかと膝を打ったのだった。ある人は資本主義に注目し、ある人は書けなくなることに注目する。つまり、読む人の数だけ正解がある小説だと言えよう。

で、僕はどう読んだのかというと、究極の自由意志の話ではないかと思った。ルールによって雁字搦めにされたこの世界で徹底した拒否を貫く。世界に対してノーを突きつける。バートルビーのこの姿勢は端的に言って格好いい。しかも、最後は食べることまで拒否して餓死している。神が与えたこの世界、人間が作り上げたこの社会への妥協なき抵抗。バートルビーとは既存の秩序の小さな反逆者であり、大昔のロックンロールスター、あるいは近代のイエス・キリストではないかと思う。

「漂流船」(1855)

1799年。サンタマリア島。デラーノ船長が停泊している湾内に漂流船が入ってくる。その船はどうやらスペインの奴隷船のようだった。デラーノが漂流船に乗り込むと、船内には弱り果てた乗員たちが。そこの船長ドン・ベニートが事の経緯を語る。

さすがに19世紀ともなると視点のあり方に意識的で、現代文学と大差ない水準だと思う。本作はデラーノ船長に寄り添った視点だからこそ偏りが生まれ、真実からのズレが生じているわけだ。この部分は叙述トリックのような綱渡り的な記述になっている。一応、デラーノ船長は彼なりに緊張を感じていたし、それがミスディレクションになりつつ真実の一端を掴んでいたから。そして、終盤で楽園を崩壊させるところは後世のミステリ小説に通じるものがある。視点のマジックを堪能したのだった。