海外文学読書録

書評と感想

ミキ・デザキ『主戦場』(2019/米)

★★★

慰安婦問題を巡るドキュメンタリー。歴史修正主義者の見解が専門家によって次々と論破されていく。

明らかにフェアじゃないというか、左派に有利な作りになってるのだけど、これに反論するなら右派が同じ題材で映画を作るしかないと思う。構成による不利を差っ引いたとしても、歴史修正主義者による異様な発言が記録されていることは確かなので。特に藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)、加瀬英明(日本会議)あたりは取材に応じてはいけなかった。この2人は差別的な発言や妄想的な発言を悪びれなく披露している。正直、彼らの発言にはどん引きした。

そもそも歴史修正主義者が勢いづいてるのって、吉田清治による虚偽の証言を朝日新聞が真実として報じたのが原因なので、吉田と朝日新聞は本当に罪深い。こいつらがちゃんとしてたらここまで拗れることもなかった。一方、河野談話も謝罪すれば問題が解決するだろうという浅はかな思惑が透けて見えて、これはこれで大失態である。慰安婦問題が現在まで拗れているのは、中心になっているのが元慰安婦の証言であるうえ(しかも、その証言が一貫していない)、日本政府が強制連行したという証拠書類が見つかっていないからだ。これはちょうど#MeTooと同じである。当事者のナラティブはどこまで信用できるのかという疑問。そして、真実を置いてけぼりにして慰安婦問題が政治利用され、日韓関係の主導権争いとしてひとり歩きしている。話が政治マターになると国益を考えざるを得ない。また、もっと単純な感情の問題もあるだろう。誰だって非を認めるのは嫌なものだ。歴史修正主義者はそういった間隙を突いて勢力を伸ばしている。非常にたちが悪い。

藤岡信勝(新しい歴史教科書をつくる会)が「国家は謝罪してはいけない」と述べている。一見すると暴論だが、昨今のキャンセルカルチャーを考えると一理ある。というのも、謝罪したら非を認めることになり、相手の際限ない非難や要求を受け入れなければならなくなるから。東京オリンピック音楽スタッフの小山田圭吾は、過去の過激なインタビューを蒸し返されて謝罪に追い込まれた。音楽スタッフもクビになった。国民もメディアも総出で小山田を叩きまくった。今思えば、小山田は謝罪すべきではなかった。謝罪するのは刑事裁判で情状酌量を求めるときくらいで、普段は何かやらかしても強気で出るべきなのだ。自分を守るとはそういうこと。非を認めたら最後、キャンセルカルチャーの餌食になってしまう。だから国家も個人も謝罪してはならない。

右派を代表するのが、トニー・マラーノ(テキサス親父)、藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)、杉田水脈(衆議院議員)、ケント・ギルバート(テレビタレント)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)なのはなかなかきつい。彼らの主張が歴史学者にことごとく論破されていく様子は見るに堪えなかった。右派を代表するには荷が重すぎたのではないか。ともあれ、本作は右派の異常さを衆目に晒す映画である。そういう意味では有意義だった。