海外文学読書録

書評と感想

ラルフ・ネルソン『野のユリ』(1963/米)

★★★★

アリゾナ。車で放浪しているホーマー・スミス(シドニー・ポワチエ)が5人の修道女と出会う。彼女たちはドイツ系で、東側からベルリンの壁を超えて移民してきた。マザー・マリア(リリア・スカラ)はホーマーのことを神に遣わされた者だと思い込み、彼に教会を建てるよう言い渡す。ホーマーは建築家だった。当初はすぐに立ち去るつもりのホーマーだったが、マザー・マリアの強引さに引っ張られて教会建設に着手する。

聖と俗のカルチャーギャップをハートウォーミングな物語に昇華したところが良かった。思うに、人間の善性を扱わせたらハリウッド映画が世界一ではないか。ハリウッドには長年にかけて培われたノウハウがある。こういう話が嫌味にならないところがすごい。

カトリックの修道女は資本主義の精神と相容れない。それゆえにホーマーと軋轢が生まれている(ホーマーはバプテスト派である)。最初に家屋の屋根を修理したホーマーは、マザー・マリアに料金を請求するもはぐらかされる。どんなに迫っても相手に払う気はない。それどころか、無償で教会の建設までさせようとしてくる。その後、教会を建てるために必要な資材もすべて寄付で賄っており、本人たちは何も対価を支払っていない。マザー・マリアにとってそれらは当たり前の態度だった。なぜなら、すべては神の恵みだから。労働力も神の恵みなら資材も神の恵み。人がもたらしたものではない。だから対価を払わないし、お礼の言葉も言わないのだ。この態度がどうにも傲慢に見えるけど、それは僕が世俗の人間だからだろう。聖職者には聖職者なりの理屈がある。ここは資本主義社会の中にぽっかり空いた聖域なのだ。聖域では神の掟こそがすべてである。神の掟に従うがゆえにマザー・マリアは傲慢であるが、彼女と律儀に付き合うホーマーはえらく人がいい。聖と俗で摩擦が起きながらも教会の建設は着々と進んでいく。

教会のレンガを積み上げるシーンが微笑ましい。最初はホーマーが一人で作業していたが、手伝いを申し出る人たちがやってくる。ホーマーはそれを断る。しかし、ちょっかいを出してきたデブのおっさんをきっかけにして、みんなが作業を手伝うようになるのだ。この流れはコメディとしてよくできている。デブのおっさんは厄介そうで実はいい人だったし、複数人による作業もお祭り感に満ちている。地域共同体による自発的なボランティア、そして「アメリカ人万歳!」の精神。マザー・マリアの横槍を挟みつつ、最終的にホーマーが仕切るあたりは爽快感があった。

ホーマーと修道女たちがエイメンというゴスペル曲を合唱するシーンは本当にいい。このような音楽の使い方もハリウッドのノウハウだろう。また、黒人を主人公としながらも人種差別的な描写を一切出さなかったところもすごかった。本作が公民権運動の時代であることを考えると英断である。ホーマーは黒人ではなくアメリカ人なのだ。そういう強い意志が窺える。