海外文学読書録

書評と感想

アキ・カウリスマキ『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1989/フィンランド=スウェーデン)

★★

シベリア。レニングラードカウボーイズはリーゼントととんがりブーツがトレードマークで、ポルカを演奏する大所帯のバンドである。マネージャーのウラジミール(マッティ・ペロンパー)が一獲千金を夢見て彼らをアメリカに連れていく。村のはみ出し者イゴール(カリ・ヴァーナネン)もこっそりついてきた。ニューヨークで演奏するも不評だったレニングラードカウボーイズ。中古のキャデラックを買ってメキシコへ向かう。

どこが面白いのかさっぱり分からなかった。基本的にアキ・カウリスマキのユーモアは好きだが、本作みたいにウケ狙いでやると途端にだだ滑りする。大昔に『ブルース・ブラザーズ』を観たときも同様のことを思った。

社会主義国家から資本主義国家への越境をフィンランドの監督が撮っている。そこに倒錯した面白さがある。隣人だからこそ気持ちが分かるのだろう。ソ連の人たちはアメリカに憧れを抱いている。田舎者が都会に憧れるように、未知なる場所でのサクセスを夢見ている。ソ連に残っていたら何も始まらない。集団農場で老いさらばえるだけだ。そういう感覚をフィンランドの監督が持っていて、しっかり映画にしているところが興味深い。お前らって本当は資本主義が好きなんだろ? 成熟した消費社会に憧れてるんだろ? そういう問いをオブラートに包んで突きつけている。

故郷ではポルカを演奏していたレニングラードカウボーイズが、アメリカでウケるためにロックンロールに転向する。そういった節操の無さも資本主義的だ。僕はロックンロールよりもポルカのほうが味があって好きだけど、アメリカ人はアメリカで流行ってる曲しか聴かないのだから仕方がない。アメリカ人は度し難い自国中心主義であり、異文化を受け付けなかった。いつもの音楽をいつもの場所で。自分たちのライフスタイルは一切変えない。外からやってきた奴が俺たちに合わせろ。そういった偏狭さが垣間見える。

マネージャーのウラジミールがレニングラードカウボーイズを搾取している。これは資本家が労働者を搾取するのではなく、社会主義国家の独裁者が人民を搾取するような構図だ(レニングラードカウボーイズに玉ねぎを食わせて自分だけ肉を食っている!)。ここら辺もちょっと毒があって、ソ連の政治体制への風刺になっている。革命が起きるところなんてまさにそう。ウラジミールは革命によって地位を失い、革命によって元の地位に返り咲く。生き馬の目を抜くような社会。それがソ連だ。

本作のギャグはほとんど面白さが分からない。ただ、それでも印象に残ったシーンはいくつかある。車のドアを開けたら大量のビール缶が溢れ出たシーン。車の上の箱を覗いたら氷漬けの死体が入っていてついでにビール缶も冷やしてるシーン。面白いとは思わなかったが、それでもインパクトはあった。