海外文学読書録

書評と感想

呉明益『複眼人』(2011)

★★★★

ワヨワヨ島に住む次男坊アトレは、島の風習によって船出することになった。それは口減らしのための厄介払いだったが、アトレは奇跡的にゴミの島にたどり着く。一方、台湾に住むアリスは、大学で教鞭を取りながら小説の執筆に心を砕いていた。アリスには夫トムと息子トトがいたが、2人は山で失踪している。やがてアトレの乗ったゴミの島が台湾に流れ着き……。

「私は何者か? 私は何者か?」複眼の男の手の上の蛹はいよいよ激しく動き出し、苦しみの惑星がまさに生まれる瞬間のようだった。彼の目は石英を含ませたように爛々と輝きを放っていた。だがそれは輝いているのではなく、一部の個眼から流れる、針先より細い涙なのだった。

「傍観するだけで介入できない、それが私が存在する唯一の理由である」己の目を指して複眼の男は言った。(p.328)

『オーバーストーリー』もそうだったけれど、環境問題を題材にした小説にはスピリチュアルな要素が入っていて興味深い。やはり自然と神は切っても切れない関係なのだろう。SDGsみたいな散文的なアジェンダではなく、血肉の通った物語として環境問題を捉える。本作は個人の生活と自然の存在を結びつけるだけでなく、ゴミの島や複眼人といった寓意的な要素を取り込んでいて一筋縄ではいかない。また、ワヨワヨ人という架空の未開人も本作に不思議な感触を与えている。欧米の小説とはまた一味違った魅力的な世界像を提示していたと思う。

本作には色々な問題意識が複雑に絡み合っている。そのひとつが、口減らしをするか、今いる人間を生かすか、という二項対立だ。ワヨワヨ島は資源不足のため、多くの人間を養うことができない。だから次男坊は大きくなると口減らしのために海へ出される。死出の旅を強制される。アトレもそういった次男坊の一人だった。一方、文明世界に生きる環境活動家は、今いる人間を生かすために知恵を振り絞っている。70億人の人口をこの地球で支えるため、海から山まで環境保護に尽力している。最近流行りのSDGsもこの路線だろう。皮肉なのは、終盤、ワヨワヨ島が津波によって消滅してしまうところだ。せっかく口減らしまでして島の存続を目指していたのに、あっさり津波に呑み込まれてしまう。その結果、島から放り出されたアトレだけが生き残ってしまう。ここはとても道徳的で、全員が助かる道を模索するしかないのだという意図を感じる。

アムンセンのエピソードが面白い。彼は当初、『白鯨』【Amazon】を彷彿とさせる旧式の捕鯨を行っていた。ボートを漕ぎ、鯨に銛を打ち込む伝統的な捕鯨である。それは商業捕鯨のような一方的な狩りではない。相手もこちらを殺す機会があるという意味で公平であり、鯨と人間で男らしい命のやりとりをしている。狩りの結果、鯨には尊厳ある死が与えられた。狩猟においては殺し方こそが重要なのだ。アムンセンにとってはそれが捕鯨を正当化する理由だったのだけど、しかし、あることがきっかけで反捕鯨活動に転じることになる。彼の転向がなかなか面白くて、狩猟に人間の美学を持ち込む意味を考えさせる。

山に住む複眼人は悲しい存在で、目の前で何が起きても傍観することしかできない。事態に介入することができない。ここにはある人物の無念が反映されている。そして、我々読者も傍観者に過ぎず、作品世界の内側と外側で複眼人と向かい合うのだった。