海外文学読書録

書評と感想

ベルンハルト・ケラーマン『トンネル』(1913)

★★★

アメリカ人技師のマック・アランが、大西洋横断海底トンネル鉄道の建設計画をぶち上げる。その計画に資産家のロイド氏ほか、世界中の銀行や大衆が出資するのだった。組織は大量の労働者を雇用し、各地で掘削工事を進める。マックが仕事に熱中する一方、マックの妻モードとマックの親友ホッビーが接近し……。

「私自身一箇の労働者だ。」とアランは喇叭から叫んだ。「トンネルメン諸君、私は諸君と同様一労働者だ。私は卑怯者は大嫌いだ。卑怯者はどしどし行ってしまえ。けれども勇気のある者は残ってくれ。労働は単に腹いっぱい食うための、ただの手段なんかじゃない。労働は理想だ。労働は現代の宗教だ。」(p.300)

技術ユートピアを志向したSFって、想像力のベクトルとしては水平方向と垂直方向に大別できると思う。前者が地上を何らかのネットワークで結ぶ技術。後者が軌道エレベーターやロケットなどで宇宙へ向かう技術。門外漢の印象としては、時代を経るごとに後者がメインになっていったように見える。

このトンネル計画は現代人からするとナンセンスだけど、当時はジェット旅客機なんてなかったから、海底にトンネルを掘って大陸間を結ぶという発想はすこぶる自然だったのだろう。Wikipediaによると、旅客機の歴史は1919年から始まったという。リンドバーグによるニューヨーク・パリ間無着陸飛行が1927年だ。飛行機がメインになるのはまだまだ先である。従って当時は船舶で移動していたわけだけど、作中でも指摘されている通り、海上の移動は天候や波に左右されて危険だ。当時はタイタニック号の事故も記憶に新しい時代である。だから安全かつ迅速な移動手段として、地下鉄道が要望されたのも必然だろう。

物語としてはトンネルの掘削だけでは持たないので、起伏に富んだエピソードをいくつかねじ込んでいる。夫婦のすれ違いとか、大切な人間の死とか、計画の頓挫とか。特に終盤は怒涛の転落劇が待っていて、今読んでも飽きさせないくらいエンタメしている。また、訳文は1930年のもので、慣れるまではレトロな文体に戸惑うものの、復刊するにあたって読みやすいよう校訂してある。だからさほど難儀はしない。エンタメ小説の古典としてとても興味深かった。

トンネル計画によって世界中から労働者が集まるところは、コスモポリタン的な理想が感じられる。技術ユートピアを支えるのが大規模労働であり、大規模労働の行き着く先がコスモポリタニズムなのだろう。職能さえあれば国籍は問わない。むしろ、国籍なんて意味がない。これは現代のグローバリズムに通じるところがあって、労働こそが人々を、そして世界を変えるのだと痛感する。もちろん、個人的に労働は大嫌いだけど。