★★★★
2005年のバグダード。米軍が駐留する同地では連日爆破テロが起きていた。そんななか、古物商のハーディーが遺体を継ぎ接ぎして『フランケンシュタイン』に出てくるような怪物を作る。そして、その怪物が各地で人を殺して回るようになるのだった。関係者は彼のことを「名無しさん」と呼ぶようになる。
俺は、哀れな人々が冀う声への応答である。俺は、救世主だ。ある意味では、ひたすら待ち望まれてきた者が俺だ。(p.177)
出版社は本作をエンタメとして宣伝しているけれど、これは普通に文芸ものではなかろうか。市中で爆破テロが横行するイラク。「名無しさん」を通して表現された、多様な民族・宗派の集合体としてのイラク。本作は荒唐無稽な設定を用いながらも、同地における血の歴史とアイデンティティに迫っている。
「名無しさん」は多数の遺体の継ぎ接ぎで出来ているから、個人としてのアイデンティティがない。バラバラのアイデンティティの寄せ集めである。そして、その寄せ集めこそがイラク人なのだ。彼が殺人を繰り返す動機は復讐だけど、面白いのはそれを果たすと持ち主のパーツが剥落するところだろう。「名無しさん」が存在し続けるには、新たな遺体からパーツを補充していくしかない。そこに大きな陥穽があって、どこかで止めないと復讐の永久機関と化す危険がある。
当初は善悪二元論的な単純な世界観で復讐を果たしていた。ところが、罪人の遺体を取り込んでから認識が一段階引き上げられる。それは「完全な形で、純粋に罪なき者はいない。そして完全なる罪人もいない」ということだ。たとえば、ある人間を罪人だからといって処罰しようとすると、このパラドックスに直面することになる。復讐の正当性に強烈なブレーキがかかることになる。このパラドックスは「名無しさん」の存在意義にまで迫るもので、本作がただのエンタメではないことを示している。
「存在し続けるために殺す」というのは、テロリストの論理でもあるし、他国に介入して死体の山を積み上げる大国の論理でもある。テロリストも大国も、復讐を大義名分にしながら人を殺し続けている。これは「名無しさん」が陥りかけた罠であり、本作に仕込まれた重要なサタイアだろう。復讐が新たな復讐を呼び、テロも戦争も終わることがない。ここにイラクだけの問題ではない、人類の普遍性が見て取れる。
それにしても、イラクという国はどうにも不幸で、前世紀は独裁者が支配して戦争を起こしていたし、今世紀は今世紀で爆破テロが横行している。命の危険に晒されながら日常を過ごすのは見るからに大変そうで、これぞ暗黒世界だと思った。