海外文学読書録

書評と感想

マイケル・ムーア『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002/米=カナダ=独)

★★★

ドキュメンタリー。コロンバイン高校銃乱射事件を入り口に、銃社会アメリカについて多角的に迫っている。マリリン・マンソン、マット・ストーン、チャールトン・ヘストンへのインタビューほか、アメリカの歴史をまとめたカートゥーンなど。

ポップで作為的なドキュメンタリーだけど、観客の興味を引くにはこれくらいしないと駄目なのだろう。実際、飽きっぽい僕でも退屈せずに2時間を乗り切ることができた。日本の場合、硬派なドキュメンタリーを見たい人には「ETV特集」があるので、そこは住み分けができている(「NHKスペシャル」は題材によって質にバラつきがあるのでお勧めできない)。昔の映画とはいえ、依然としてアメリカは銃社会のままなので賞味期限も切れていない。まだまだ鑑賞に堪える映画だと思う。

内容としては犯人像に肉薄するタイプではなく、より深い社会の病巣に切り込んでいて、問題の本質に迫ろうとする意気込みが良かった。そこはワイドショーと一線を画している。アメリカが銃社会になった原因については、皮肉交じりのカートゥーンによくまとまっている。それによると、建国の歴史にまで遡る「不安」が背景にあるようだ。清教徒として迫害されてきた不安。移住先に居座っていたインディアンへの不安。奴隷として使役していた黒人への不安。つまり、他者への不安だ。チャールトン・ヘストンはインタビューで、この国で殺し合いが発生するのは人種問題が原因だと示唆していた。おそらくこれが白人の共通認識なのだろう。白人は異人種が怖い。だから郊外に同類だけの居住地を作っている。マチズモの裏側に拭い難い不安があることが分かって面白かった。

マリリン・マンソンが槍玉に挙げられたのはとんだとばっちりで、SNS時代だったら自殺しかねなかった。こういう表層的な犯人探しをするところは日本もアメリカも変わらないようだ。何か事件が起きると、いつだってロックやアニメ、ゲームといったサブカルチャーが標的になる。マリリン・マンソンはインタビューで、恐怖を抱かせて物を買わせるのがアメリカ社会だと論じていた。これは本質を突いていて、日本でも健康食品や美容整形などがその手法を使っている。人の危機感を煽り立てるのが企業の務めであり、資本主義社会はそうやって我々を食い潰そうとしてくるのだ。僕もこれには気をつけたいと思った。

銃社会を容認する人は、護身用に銃が必要なのだと言う。しかし、現実ではたいていその銃が犯罪に悪用されている。自分がいくら武装していても、不意打ちされたら身を守ることができない。反撃する間もないまま無力化されてしまう。日本でも護身用にスタンガンや催涙スプレーが売られているけれど、それによって身を守った事例は少なく、むしろ犯罪に使われた事例のほうが多い。裏を返せば、武器を売らないことが最大の護身なのだ。そう考えると、銃社会アメリカは不合理だしトチ狂っている。

ところで、全米ライフル協会って日本会議みたいなものではないか。どちらもカルト臭がすごくてどん引きする。