海外文学読書録

書評と感想

イングマール・ベルイマン『仮面/ペルソナ』(1966/スウェーデン)

仮面/ペルソナ

仮面/ペルソナ

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★★★★★

女優のエリザベート(リヴ・ウルマン)は舞台でセリフが喋れなくなった後、失語症を発症して入院する。病院で検査するも原因は不明だった。エリザベートは医者の勧めにより、看護婦のアルマ(ビビ・アンデショーン)と海辺の家で転地療養する。アルマはエリザベートに自分がむかし犯した過ちを話すが……。

女の友情を描いているのかと思ったら、そんな生易しい話じゃなかった。これは過酷な女性性を描いた話だった。

エリザベートとアルマは、一見すると年齢も違えば社会的立場も違う赤の他人である。けれども、2人は魂の双子のような強い引力があって、それが終盤で超現実的な現象として発露している。象徴レベルの話をすると、エリザベートとアルマは分裂した人格で、これは一人の人間の矛盾する内面を表現しているのだろう。息子を嫌悪するエリザベートが沈黙し、代わりにアルマという治療者が生まれる。アルマが赤裸々に自分の過ちを語るのに対し、エリザベートは頑なに自分の本心を隠す。沈黙と饒舌がコインの裏表のように交錯しているのだ。このように2人は相互補完的な関係ではあるけれども、だからといって穏やかに過ごせるわけでもない。エリザベートはアルマのことを裏であざ笑っている。そのことを知ったアルマは怒り、反発し、2人の関係は危機に陥る。そして、それを機に2つの人格は核融合的な反応に向かう。終盤の超現実的な展開には驚きがあって、前衛映画みたいな演出と上手くマッチしていた。

2007年に衆議院議員柳澤伯夫が、女性を「産む機械」と表現して物議を醸したけれど、しかし、それが女性性の本質であることは疑いようがない。現状、妊娠できるのは女性のみである。男性にはできない。だから女性性を論じる際に出産の問題は外せないし、それから目を背けることは許されないだろう。ともあれ、「産む機械」である女性は、妊娠の恐怖に囚われている。夫婦が子供を作ろうと思った場合、犠牲を払うのは常に女性の側だ。女性は肉体的・精神的苦痛のもとで子供を産む。そして、女性は自分を苦しめた子供に憎しみの感情を抱く。頭では愛さなければと思いながらも、本能では子供を憎んでいるのだ。それゆえに女性は育児ノイローゼにかかり、しばしば精神科医のお世話になるのである。エリザベートの場合、憎しみの感情を沈黙によって抑えていた。愛しているふりをしたくない。嘘をつきたくない。そう思った結果、自分の本心を沈黙の仮面で隠すことになった。本作はこの時代に母性本能という通念を否定したところが画期的で、近年の科学的研究を踏まえると、その女性観は鋭いと言える。ここまで女性性に肉薄した映画はないのではないか。

というわけで、女性とは何か? と疑問に思っている人は本作を観るべきだ。女性性の過酷さを前衛的な演出で表現している。男性の僕にとっては刺激的な映画だった。