海外文学読書録

書評と感想

リチャード・アイオアディ『嗤う分身』(2013/英)

★★★★

共産圏ディストピアみたいな世界。サイモン・ジェームズ(ジェシー・アイゼンバーグ)は周囲に軽んじられている不器用な会社員だったが、コピー係のハナ(ミア・ワシコウスカ)に気があった。あるとき、彼と瓜二つのジェームズ・サイモン(ジェシー・アイゼンバーグ)が職場にやってくる。ジェームズは何でもこなせる優秀な人間で、サイモンにとって理想の自分だった。

原作はフョードル・ドストエフスキー『二重人格』【Amazon】。

ウィリアム・ウィルソン」【Amazon】みたいな話を『未来世紀ブラジル』の世界観でやっていて面白かった。他にも『裏窓』【Amazon】からの引用があるし、ビッグブラザーAmazon】みたいな「大佐」も出てくる。文学好き・映画好きへの目配せが感じられた。

「特別」になりたいというのがサイモンの切実な願いなのだけど、どうあがいてもそれが達成できないところに悲しみがある。本作の舞台である共産圏ディストピアでは、「人は仕事であり、仕事は人である」がモットーだ。そこには特別な人はいないし、いるのはただの人である。人間が労働のための規格品と化した世界。ただ、それでも小さな差異はあって、社内では優秀な人間とそうでない人間に色分けされている。要領が悪いサイモンは後者だった。特別な人などいない世界なのに、それでもカーストの最下層で喘いでいる。サイモンは人並みのことすら人並みにこなせない。本人もそのことを自覚していて、「これは僕じゃない」と現実を否認している。そして、そんなときに理想の分身であるジェームズが現れるのだった。

ジェームズがサイモンの生活を侵食し、彼から「存在」を奪い取る筋書きは想定の範囲内である。サイモンは数少ない拠り所であるハナ、さらには家族までも奪われた。しかも、奪った相手は自分の理想を形象化したような分身である。サイモンは自分のことをピノキオだと思っていて、「自分は本物ではない」と悩んでいた。しかし、いざ目の前に本物が現れると、その状況は加速していく。分身に何もかも奪われ、自分から「存在」が剥ぎ取られる。「存在」とは周囲から認められることであり、認められない人間は「幽霊」でしかない。「幽霊」になったら生きてる甲斐もなく、サイモンがラストでああいう手段に出たのも納得できる。

結局のところ、本作は承認をめぐる話なのだろう。誰にも承認されない人生がいかにつらいのか。待っているのは圧倒的な孤独しかなかった。さらに、本作ではサイモンが自己愛に浸ることすら禁じられている。理想の分身たるジェームズに好意を寄せようとしても、「ゲイは嫌だ」と撥ねつけられてしまうのだ。他人から承認を得られなければ、自己愛に逃げることも許されない。サイモンの切羽詰まった状況は、現代人の病理を表していると言える。