海外文学読書録

書評と感想

アラン・ロブ=グリエ『快楽の漸進的横滑り』(1974/仏)

快楽の漸進的横滑り

快楽の漸進的横滑り

  • アニセ―・アルヴィナ
Amazon

★★★

アリス(アニセー・アルヴィナ)のルームメイト・ノラ(オルガ・ジョルジュ・ピコ)が何者かに殺害された。ノラは全裸でベッドに拘束され、心臓にハサミを突き刺されて絶命している。遺体には聖女の絵が描かれていた。逮捕されたアリスは、刑事に尋問されたり、尼僧に憎まれたりする。

月並みだけど、これはエロスとタナトスの映画なのだろう。ただ、その割には前者の成分が多く、後者は控えめである。ともあれ、本作はキリスト教現代アート悪魔合体していて、独特の雰囲気を醸し出している。尼僧に神父に裸体アート。個人的にはありそうでなかったような組み合わせで、それなりにインパクトがあった。

マネキンを死体に見立てたり、人間をマネキンに見立てたり、肉体と人形の類似性をこれでもかと提示している。これは登場人物が裸体をキャンパスに絵を描いているのと関係していて、表現主体としての人体は人形と同じだと言いたいのだろう。別の事柄でたとえるなら、絵画のモデルなんかがそうだ。モデルになった人間は、マネキンのように動かない。歩いたり喋ったり、そういう人間的な行為が一切禁止されている。これは映画の死体役も同様で、死体を演じる者はまばたきひとつしては駄目だ。死体として、あるいはマネキンとして、人間性を放棄することが求められている。この人形フェチがSFにまで振り切れると、『ブレードランナー』【Amazon】や『イノセンス』【Amazon】になるのだ。ある種の映画は人形を題材にすることが分かって興味深かった。

本作では殺人の謎が映画を前に進める動力になっている。こういう形式は文学でもしばしば見られるもので、話を転がす道具としてミステリを利用することが一時期流行ったのだった。大抵は謎解きが重視されないので、プロパーのミステリ読者には評判が悪い。ご多分に漏れず本作もその類だけど、しかし、冒頭に回帰するラストは収まりがよく、かつ皮肉が効いているので、見終わった後は充実感がある。正直、こんな風に分かりやすくまとめるとは意外だった。前衛的な映像表現が目白押しだっただけに尚更である。この監督はサービス精神が旺盛なのかもしれない。

ところで、本作を観て思ったのは、フェティシズムこそがエロの真髄ということだった。本作には女の全裸シーンがたくさん出てくる。しかし、それらはどれも男の性欲を喚起しない。ただの肉塊といった風情である。その一方、跪いた男が着衣した女の足を愛撫するシーンは、そこはかとなくエロくて快感中枢を刺激される。おっぱい丸出し、性器丸出しは全然エロくない。着衣した女体こそがエロであり、猥褻物なのである。数年前、女性器をかたどった3Dデータを発表して逮捕された女性アーティストがいたけれど、それは大きな間違いだと声を大にして言いたい。着衣こそがエロの本質なのだから、性器ごときで逮捕してはいけないのである。