海外文学読書録

書評と感想

フランク・キャプラ『オペラハット』(1936/米)

★★★★

田舎に住むディーズ(ゲイリー・クーパー)は、絵葉書に詩を書いたり、楽団でチューバを吹いたりして幸福に暮らしていた。そんな彼のもとに巨額の遺産が転がり込む。弁護士に連れられてニューヨークに移住したディーズだったが、タカリ屋たちが寄ってきてうんざりするのだった。そこへ彼のゴシップ記事を書こうと女性記者のベーブ(ジーン・アーサー)が近づいてきて……。

ウェルメイドな映画で感心したし、何より人間の善性を臆面もなく表現しているところが良かった。昔読んだ伊坂幸太郎の小説を思い出す。こういう良心的な作風はけっこう好きかもしれない。

主人公のディーズはあり得ないくらい善良な人物で、ヒロインから「健全な男が変人に見える」と評されるほどだけど、そんな彼が健全であるがゆえに、精神病を疑われるところが皮肉的だった。人間は多数派が考える社会のコードを守らないと異常者にされてしまう。ディーズみたいに遺産を放棄して全額慈善事業に使うと、精神病のレッテルを貼られてしまう。我々は無欲な人間などいないと決めつけているのだ。終盤の裁判では、そういう偏見から出発して、数々の逸脱を異常行動と認定し、ディーズを病人に仕立て上げようとしていた。「健全な人間」という鋳型を想定し、そこにはまらない人間を精神病院に押し込めようとしていた。考えてみたらこれは恐ろしいことで、『異邦人』【Amazon】にも通じる不条理があると思う。「健全な人間」として認めてもらうには、誰が決めたかも分からないその像を演じなければならない。僕もそういった規範を内面化しながら生活しているので、裁判の場面は見ていてぞっとしたのだった。

作中に困窮した農民が出てくるところは、当時の世相を反映しているのだろう。1930年代はニューディール政策によって公共事業を推進していた時期で、ディーズがやろうとしていたことも公共事業の一種である。ディーズが単純な施しではなく、雇用を確保する方向に動いたのって、極めて資本主義的ではなかろうか。それを補強するのが序盤で言及された赤字オペラの件で、彼はいくら芸術といえども赤字の事業には出資できないと明言している。日本だと芸術は補助金やら減税やらで保護されているので、ディーズの思想はいかにもアメリカ的だと思った。

終盤の法廷劇は崖っぷちから一気に逆転していて、昔の映画のわりにはよくできてるなと感心した。それと、本作はユーモラスなキャラが場面を引き立てていたと思う。序盤に出てくるASDっぽいおじさんは、訪問者と噛み合わない会話をして笑わせてくれたし、終盤に出てくる老姉妹は、発言する前に2人でひそひそ話をするところが奇妙で可笑しかった。本作は愛すべき人物に溢れた愛すべき映画だと言えよう。