海外文学読書録

書評と感想

デヴィッド・O・ラッセル『世界にひとつのプレイブック』(2012/米)

★★

高校教師だったパット(ブラッドリー・クーパー)は躁鬱病で精神病院に8ヶ月入院していたが、母親の助力で退院する。パットは妻ニッキー(ブレア・ビー)の浮気現場に遭遇し、浮気相手を殴ったことで入院させられたのだった。未だニッキーへの未練を断ち切れないパット。そんななか、友人の食事会でティファニージェニファー・ローレンス)と出会う。彼女は夫を事故で亡くして性依存症になっていた。

映画としては終盤のダンスシーン以外に見せ場がないものの、主要人物のほとんどがキ印なところが面白かった。パットやニッキーは言わずもがな、パットの父親(ロバート・デ・ニーロ)まで気が狂っている。

ミシェル・フーコー『狂気の歴史』【Amazon】によると、昔は精神病院で「躁暴性の狂人」を見世物にして金を取っていたそうだ。その是非は措くとして、本作を観ると確かに躁鬱病の人は独特だと思う。読んでいた本が気に入らないと言って窓に放り投げてガラスをぶち破ったり、やたらとポジティブ思考で逃げた妻と復縁できると決め込んでいたり、明らかに認知がおかしい。Twitterでは、躁状態の人が異様にテンションの高い文章を連投して、直後に気分が落ち込んで何日も沈黙するという現象を何度も目撃したけれど、映像で躁状態の人を見るとまた強烈で、こういう人はちゃんと実在するのだと納得する。それまで観念上の存在だったものに形が与えられて、心の中ではっきり像を結ぶようになった。我々が住んでいる世界は健常者が中心で、平凡な生活を送っているとまずこういう人にはお目にかかれない。だからこそ希少価値があり、見世物として一定の需要が生まれている。本作はそういった需要をすくい上げているのだろう。人間の人間たる所以は、その好奇心にあるのだから。本作は従来「変人」とされていたものに診断名を与えたところが目新しいと言える。

少し前までは精神障害者を何十年も病院に隔離することが当たり前だったけれど、今ではなるべく娑婆で生活させる方針になっている。少なくとも日本ではそうだ。けれども、この方針が正しいのか時々疑問に思う。というのも、彼らの一部は日常的にブロンをODし、膣にマイスリーを入れ、サイゼリヤで薬物パーティーを開いているのだ。大麻も当たり前のように吸っている。とにかく薬物依存から抜けられない。そして、彼らは次々と他人を巻き込んで、アメーバのように仲間を増やしている。この状況を放置したままでいいのだろうか。薬物に溺れるのが本人だけならまだしも、周囲を同じ悪癖に引きずり込むのだからたちが悪い。何らかの対策が必要だと思う。

男女のペアダンスはまるでセックスのようで、濡れ場のない本作ではそれが隠喩として意図的に提示されている。衆人環視のもとで行われる2人の濃密なコミュニケーション。これを見て『ボールルームへようこそ』【Amazon】を思い出した。