海外文学読書録

書評と感想

ウィリアム・ワイラー『西部の男』(1940/米)

★★★★

南北戦争後のテキサス州フォート・デービス。町では新興農民と牛飼いが対立し、判事のロイ・ビーンウォルター・ブレナン)が権勢を振るっていた。そこへ流れ者のコール・ハーデン(ゲイリー・クーパー)が馬泥棒の容疑で引き立てられる。ロイは彼に絞首刑の判決を下そうとしていた。ところが、コールはロイが女優リリー・ラングトリーの熱烈なファンだと知って駆け引きをする。

ウォルター・ブレナン演じる悪役の人物造形が面白かった。彼はかなり非道なことをしているのだけど、女優が大好きというチャーミングな面も持ち合わせていて、単純な悪党として描かれていない。「ここでは俺が政府だ」と息巻く一方、コールに女優の髪の毛をねだる一面もあって、子供っぽい純粋さを覗かせるところが魅力である。見ていてついその愛嬌にほだされてしまうものの、しかし悪役であることには変わりがなく、トウモロコシ畑に火をつけて農民を追い出すなんてこともしている。映画としてはキャラが徹底してないという批判もありそうだ。ただ、一方でこういう割り切れない人物像が逆にリアリティを感じさせて、普通の西部劇とは一味違うと思わせる。善玉のコールと銃撃戦を繰り広げつつも、彼と奇妙な友情で結ばれているところが良かった。

ゲイリー・クーパー演じるコールは、性格も素性もはっきりしなくていまいち感情移入できない。序盤は抜け目ないところを見せていて、ロイが女優好きであることにつけ込んでハッタリをかましているし、さらには馬泥棒についても、盗んだのか買ったのか曖昧なままである。もし盗んだのだとしたら、売人に仕立て上げられて射殺された男が可哀想だし……。

と、コールはそういう胡乱なキャラクターをしているけれど、その反面、虐げられている農民には同情的で、成り行きから彼らを助けることになる。保安官に任命されて正義の執行者になる。流れ者が町の揉め事を解決するという筋は西部劇のテンプレであり、期せずして本作もその型にはまるのだった。これは序盤で描かれた人物像からすると相当意外である。まさか善玉になるとは思わなかった。

火事のシーンはモノクロでも迫力があってかなりのスペクタクルだった。この時代だから当然CGは使ってない。実際にトウモロコシ畑や家屋を燃やしている。思えば、『恐怖の報酬』も油田が燃えているシーンは大迫力だった。モノクロ映画だからといって馬鹿にしたものではない。これはこれで見所がたくさんある。

モノクロと言えば、当時は写真がモノクロだったから、コールがロイに女優の目の色や髪の色を伝える際にハッタリが効いたのだった。あれがカラー写真だったら嘘がバレていただろう。この辺の事情もよく考えてみると面白い。