海外文学読書録

書評と感想

デヴィッド・ルヴォー、アレックス・ラジンスキー『ジーザス・クライスト・スーパースター・ライブ・イン・コンサート』(2018/米)

★★★

エルサレム近郊に来たイエスジョン・レジェンド)は、民衆からメシアとして期待を受けていた。彼は自らの行く末を案じ、内心では孤独を感じている。一方、イスカリオテのユダ(ブランドン・ディクソン)は、民衆がイエスに熱狂するのを懐疑的に見ていた。さらに、マグダラのマリア(サラ・バレリス)は変わらずイエスに愛情を注いでおり……。

1971年にブロードウェイで初演されたロック・オペラ。1973年にはノーマン・ジュイソン監督によって映画化【Amazon】もされている。今回観たのは、2018年にテレビ中継されたライブ・コンサートである。

21世紀に住む我々は、ユダを単なる裏切り者としては捉えてないわけで、本作の解釈には違和感がない。『キリスト最後のこころみ』や『わが子キリスト』【Amazon】など、文学においてもユダの多面性が描かれている。もう『神曲』【Amazon】の時代ではないのだ。イエスに裏切るよう頼まれたとか、信者たちを守るために敢えて裏切ったとか、そういう解釈のほうが今では主流だろう。なので、本作は保守的にすら思える。

「なぜ私は死ななければならないのか」とイエスが独白するけれど、それは死ぬことで伝説になるからだろう。かつてTwitterのメンヘラ界隈にメンヘラ神というコンテンツがいた。彼女は当時流行っていたメンヘラ芸で内輪に注目され、承認欲求を満たしていた。そこら辺によくいるコンテンツだった。ところがある日、彼女は当時つき合っていた彼氏に自殺するよう促され、遺書めいたツイートを残して飛び降り自殺してしまう。そして、そのことが後にメディアによって報道され、界隈の外にまで広がって一躍有名になる。ありふれたコンテンツに過ぎなかった彼女は、死ぬことで特別な存在になった。メンヘラ神が自殺してもう5年になるけれど、今でもその名は語り継がれている。コンテンツは死ぬことで伝説化するのだ。そして、これはイエスについても同様で、彼は磔刑に処されたことで伝説になり、結果的には世界宗教にまで発展している。イエスはなぜ死ななければならなかったのか? その答えは自明である。

福音書を書けば後世にまで事績が残る。そう考えた信者は賢いと思う。イエスと他のメシアたちの大きな違いは、残された弟子が伝道に熱心だったかどうかで、その意味ではイエスは幸運だった。有象無象に埋もれなくて済んだ。それと、『ソプラノズ 哀愁のマフィア』【Amazon】というドラマでは、年寄りを大ボスにして捜査当局の弾除けにするエピソードがあるけれど、本作を観ていたらイエスもそういう存在に思えてきた。すなわち、弟子を守るための盾。いずれにせよ、イエス世界宗教になるための犠牲者であることに間違いない。

エス役のジョン・レジェンド『ラ・ラ・ランド』にも出ていた有名ミュージシャンだけど、ルックスがちょっと地味だった。ユダ役のブランドン・ディクソンに食われている。また、本作にはアリス・クーパーも出演していて、彼の登場シーンでは歓声もひときわ大きかった。