海外文学読書録

書評と感想

アルフレッド・ヒッチコック『三十九夜』(1935/英)

三十九夜(字幕版)

三十九夜(字幕版)

  • ロバート・ドーナット
Amazon

★★★★

カナダから休暇を過ごしにロンドンにやってきたハネイ(ロバート・ドーナット)が、ミュージックホールで「メモリー・マン」の芸を鑑賞する。するとそこで銃声が。その場にいた女性を成り行きからホテルに連れ帰ると、軍の機密が国外に持ち出されるという話を聞かされる。その後、女性は何者かに刺殺され、ハネイに殺人の容疑がかけられるのだった。紆余曲折を経てハネイは列車で知り合ったパメラ(マデリーン・キャロル)と手錠で繋がれ、陰謀を暴こうとする。

原作はジョン・バカン『三十九階段』【Amazon】。

学生時代に観たときはヒッチコックの最高傑作だと思ったけど、今観たらそうでもなかった。『レベッカ』【Amazon】のほうがよっぽど上だと思った。何らかの心境の変化が起きたのだろうか? とはいえ、アメリカ時代に比べるとテンポが良くて好ましいのは確かで、本作は娯楽映画のお手本だと思う。やはり映画は90分くらいがちょうどいい。3時間超えの大作なんて観たくないよ。

イギリスの危機を救うのがカナダ人というへんてこさが印象に残る。でも、当のカナダ人は自分にかけられた殺人の容疑を晴らすために行動しているので、行為と動機にギャップがある。あくまで自分の身を守るために国家の利益を守ろうとしているわけ。主人公がヒーローじゃないところが巻き込まれ型サスペンスのいいところで、ひねくれた観客を黙らせる効果がある。

冒頭のショーや選挙の演説シーンも印象的だ。どちらも聴衆からの野次に対して演者が当意即妙の返しをしている。こういうのは洋の東西を問わない古き良きライブ文化だろう。頭の回転が早くないと人前には立てない。ユーモアセンスがないとその場を仕切れない。僕は加齢によってそういう能力を無くしてしまったので、彼らが羨ましいと思うのだった。僕も芸人みたいなトークスキルが欲しい。トークスキルを身につけて大衆を沸かせる演説をしたい。

サスペンスの演出として面白かったのが、序盤でホテルの電話が鳴るシーン。電話の呼び出し音が延々と鳴り続けるのには緊張感があった。僕は子供の頃から電話が苦手で、その理由は日常に突然別の世界が割り込んでくるからだ。こちらの都合なんてお構いなしに、けたたましい呼び出し音が鳴り響いてくる。あの呼び出し音には、「早く受話器を取らなければ」という威圧感すらある。本作はそういう心理を利用したギミックが使われていて、当時から電話は疎ましい存在だったことが分かる。

列車に乗り込んだハネイが初対面のパメラにキスしたのは、本来なら終盤に持ってくるシーンを先取りしたような格好になっており、通常の映画とは違った変則的な構成になっている。そもそも、あの時点でパメラがヒロインになるとは思ってなかった。だから終盤で再登場したのには驚いたし、振り返ってみればあのキスには意味があったことが分かって再度驚く。主人公がカナダ人なところといい、やはり本作はへんてこな映画だと思う。