海外文学読書録

書評と感想

ジミー・チン、エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ『MERU/メルー』(2015/米)

★★★

登山を題材にしたドキュメンタリー映画。ヒマラヤのメルー峰シャークスフィンは前人未到の壁だった。コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークの3人が、その壁に挑戦する。一度は失敗し、レナンがスキー中に事故で負傷するも、懸命にリハビリをして再び3人でメルーに挑む。

登山というから荷物を背負って歩いて登るのかと思ったら、命綱をつけてピッケルで岩壁を叩いて登る、つまり、まるでロッククライミングみたいで驚いた。その絵面は想像以上で、富士山に登るどころの話ではなかった。崖用のテントなんて初めて見たよ。崖に小さいテントが吊り下がっていて、その中で3人が寒さを凌いでいる。彼らが挑んでいるシャークスフィンは、これまで登山家が述べ20回以上も挑戦して失敗してきた難攻不落の壁だ。前述の通り、ほとんどロッククライミングみたいな体になっていて、僕の中で登山の定義が揺らいでしまった。たとえるなら、大自然に裸一貫で挑んでいるような感じ。一流の登山家はこんな危険なことをしているのか、と面食らった。

彼らは登山をスポーツと認識しており、山に登る理由について「景色が見たいから」と述べている。個人的には、命を危険に晒してまで登るのは割に合わないような気がするけれど、きっと当人はドーパミンがドバドバ出ていてそれどころじゃないのだろう。大航海時代以降、世界が探索され尽くして真の意味で冒険がなくなった。大自然に挑むのは贅沢な冒険だ。ロッククライミングやスキューバダイビングなど、死と隣接するスポーツは、それを行うことで自身の「生」を確認する意味がある。きっと生き延びること自体に快感があるに違いない。これは戦場に率先して出たがる兵士に似ている。自衛隊から民間軍事会社に入って中東で活動してる人なんかも同じ動機だろう。死を身近に感じることによって浮かび上がる強烈な「生」の意識。人間とは何て面倒な動物なのだと思った。

雪崩の映像が大迫力で、これは東日本大震災のときの津波の映像を思い出させる代物だった。そのときの映像は、YouTubeにアップされていたHD画質のものを保存している。NHKのニュース映像だ。当時、僕の家は停電していたのでテレビは見れなかった。ネットの情報が頼りだった。ともあれ、自然が文明を侵食していく光景が圧倒的で、濁った水の塊が、道路を、建物を、車を飲み込んでいく様子にひどく興奮した。僕は人生において、これほどスペクタクルな映像を見たことがない。ノンフィクションとはこういうものだということを骨の髄まで味わった。自然、自然、自然。自然こそ我々にとっての脅威であり、同時に驚異でもあるのだ。

「景色が見たいから」という理由で山に登る。登山家の気持ちが少しだけ分かったかもしれない。