海外文学読書録

書評と感想

幾原邦彦『さらざんまい』(2019)

★★★★

浅草。中学2年生の矢逆一稀・久慈悠・陣内燕太が、カッパ王国第1王位継承者ケッピと出会う。ケッピに尻子玉を抜かれた3人はカッパに変身し、カパゾンビから尻子玉を抜くことを課せられる。カパゾンビの尻子玉をケッピに転送することで、何でも願いの叶う希望の皿が生まれるのだった。3人にはそれぞれ叶えたい欲望があって……。

第1話からして鮮烈な印象を残すアニメで、一見して「これは今期(2019年春)の覇権じゃないか」と思ったほどだ。だって少年たちが尻子玉を抜かれて河童になって、ミュージカルみたいに歌いながら今度はカパゾンビの尻子玉を抜くんだもん。しかも、肛門から直腸に入る場面がばっちり描写されていてめっちゃえぐい。尻子玉を抜いたあとは、カパゾンビのケツから体液がブシューって出ている。他にも、警官2人組がこれまたミュージカルみたいに歌いながら欲望を搾取したり、浅草の町並みがアニメ用に作り変えられていたり、まさに映像表現の極地という感じだった。やはりアニメにはアニメにしかできないことをやってほしいわけで、本作はその願望を見事に叶えてくれたと思う。素晴らしい。

本作は「つながり」がテーマなのだけど、見ていてけっこう刺さるところがあった。というも、僕は今まで色々な人とのつながりを断ってきたから。人間はいくらでも代わりがいると割り切ってるから、あまり他人に執着しない。自分の興味関心に応じて人とつながり、興味がなくなったらあっさり縁を切っている。大人になってからは、利用価値があるかどうかで関係を構築していた。と、そういうドライな交際をしてきたので、つながりを手放さないよう奮闘する少年たちには心が震えた。特にミサンガがつながりのシンボルとして重要な役割を果たすところは胸熱である。最終回は大団円で終わってほっとした。

本作でもっとも印象に残っているのがレオマブのエピソードで、彼らを中心に据えた第10話は感動的だった。マブがレオに想いを伝えることで、機械の心臓が爆発して死亡する。つながりたくてもつながれない。つながった瞬間、そのつながりが切れてしまう。この二律背反的な構造がせつなくて、BLも悪くないなあと思った。レオマブは男同士の関係だからこそピュアなのではないか、と力説したくなるほどだ。本作を見て、腐女子の気持ちが分かったような気がする。

なお、本作には肛門のほかに銃やきゅうりといった男根のメタファーが使われていて、フロイト的な分析を誘うようになっている。けれども、個人的にはそういうことをしたら負けだと思っている。いい加減、おたくの過剰解釈は『エヴァンゲリオン』【Amazon】で懲りただろう、みたいな。ただ、欲望に関しては『生き延びるためのラカン』【Amazon】が参考になるので、理解を深めたい人は一読をお勧めする。