海外文学読書録

書評と感想

ジェフ・ニコルスン『美しい足に踏まれて』(1995)

★★

足フェチの「ぼく」は、路上で女性の足を撮影したり、あちこちから女ものの靴を収集したり、独自のアーカイブを所持している。彼は自分の性癖を理解してくれる恋人キャサリンとよろしくやっていた。ところが、そんなキャサリン破局を迎え、まもなく彼女は新しい男を作る。怒りに燃えた「ぼく」は男のフラットに侵入し……。

究極のところ、いい靴の役割、絶対不可欠な役割は足を見せること、足を際だたせ、見せびらかすこと、足に額縁と舞台を与えることだ。そしてこれこそがぼくのエロティックな執着の本質である。芸術と自然、人間の肉体と人工物、足と靴、皮膚と革の交わりを、ぼくは求めてやまない。(p.26)

『瘋癲老人日記』【Amazon】と肩を並べる足フェチ小説だった。一応後半で殺人事件が起きるが、犯人はすぐに明示されるし、謎で引っ張るような構成でもない。語り手の足に対する情熱、さらには彼が傾ける薀蓄、それらを楽しむ小説だろう。お話としてはいくぶん物足りなさを感じるものの、フェティシズムの何たるかを堂々と示したのは良かった。

人間である以上、みんなそれぞれ固有の性癖を持っているのは当たり前で、ご多分に漏れず僕にもそれはある。だから本作の「ぼく」には共感することしきりだったが、それにしても、周囲の人たちが足フェチを変態呼ばわりしているのは解せなかった。足フェチって性癖のなかではかなりメジャーなほうでは? うなじフェチや鎖骨フェチに比べたら人口は多いだろう。僕はAVソムリエなのであらゆるジャンルのAVを見ている。足フェチを扱ったものはとても多い。ここまで多いともはや市民権を得てると言っていいくらいだ。なので作中でマイノリティ扱いされていたのには違和感があった。

ところで最近、Twitterで「女性にパンプスを強制するな」という草の根運動が起きて話題になった。ご存知、#KuTooである。女性の生きづらさに同情する反面、「足フェチの男性にとっては由々しき問題だ」と思っている自分もいて、あちらを立てればこちらが立たずという葛藤に悩まされた。美意識という観点からしたら、「さすがにフラットシューズはないだろう」と思料するわけだ。妙齢女子にはパンプスを履いてもらいたい。見た目の美しさを気にしてもらいたい。それが世の男性の願いではなかろうか。

とはいえ、そんな願望をどストレートに表明しても意味がない。それどころか、女性にとっては有害ですらある。人間は社会的な生き物である以上、他者のことを思いやらなければならない。夫婦別姓同性婚と同様、#KuTooに反対する正当な理由はたぶんないだろう。少なくとも僕には思いつかない。フラットシューズは世の男性の美意識が許さないけれど、そこをぐっと堪えて時流を見守るべきで、我々は社会の転換期を息を潜めて窺うのみである。パンプスよ、さらば。できれば笑顔で別れを告げたい。

作中で『シンデレラ』【Amazon】の読解をしていたのが面白かった。「ぼく」によると、ガラスの靴はヴァギナのシンボルだという。足と靴の関係で『シンデレラ』を捉えたことがなかったので、この見解は新鮮だった。