海外文学読書録

書評と感想

閻連科『愉楽』(2004)

愉楽

愉楽

  • 作者:閻 連科
  • 発売日: 2014/09/26
  • メディア: 単行本
 

★★★★★

住人の大半が身体障害者の受活村。そこを管轄する双槐県では、観光客を呼び込むためにロシアからレーニンの遺体を購入し、魂魄山に安置する計画を立てた。県長は受活村の障害者たちの特殊能力に目を付け、数十名からなる絶技団を結成。全国公演をしてレーニンの遺体を買うための資金を得ようとする。

茅枝婆はさらにあの十三歳の小児麻痺の子供の家に向かった。
「息子はまだ十三になったばっかりじゃろうが」
そこの両親は言った。「もう二、三年したら、こいつの足は瓶の中には入らんようになってしまう。もう子供じゃのうなる。外へ出して世間を見てもらいたいんじゃ」
「子供の片輪を見世物にしてどうするんじゃ」
「これを見せんで、何を見せろというんじゃ」(p.122)

『異形の愛』や『ロートレック荘事件』【Amazon】に並ぶ片輪文学の金字塔といったところだろうか。まず観光客を呼ぶためにロシアからレーニンの遺体を買おうという着想も面白いのだけど、その資金稼ぎに障害者の人間離れした絶技を見世物にするという展開が面白すぎる。受活村の人口は167人。めくらが35人、おしとつんぼが47人、びっこが33人、小人や片手といったその他の障害者が数十人いる。あるめくらは物がどこにどのように落ちたか聞き分けることができるし、あるつんぼは耳元で爆竹を鳴らしても平気の平左でいる。また、ある片足猿は杖を使って軽快に走り回るし、ある片目は捩った糸を5本の針の穴に一気に通すことができる。もちろん、小人たちのショーもあれば、60代の老人を120何歳だと偽って見世物にしたりもする。そう、本作はこの「見世物」がキーワードなのだ。レーニンの遺体も受活村の障害者も、金を稼ぐための見世物として期待されている。この辺が改革開放政策で金儲けに奔走する世相を映しているようで、何とも皮肉な小説だと思った。

しかし、本作はこのような狂騒だけを描いているわけではなく、受活村の人たちの受難を通して中国の負の歴史をなぞっている。というか、これがなかったら僕は本作を傑作だとは思わなかっただろう。もともと受活村は明の時代からどこにも所属せずにひっそり存在していたのだけど、共産党政権になってからは土地が国家のものとなって互助組や合作社に「入社」することになる。大躍進政策の時代には、人民公社を名乗る完全人(健常者)から食糧を略奪され、何人も死人を出した。そういう苦い経験から村の幹部は人民公社からの「退社」を希望するようになる。再びどこにも所属せず、静かに暮らしたいと望むようになる。もう誰からも踏みつけにされたくない。昔みたいに平和に暮らしたい。本作はこういったサイドストーリーが物語に奥行きを与えていて、弱者でいることの悲しみを浮き彫りにしている。

彼らの受難は過去だけではなく、それが現在にまで及ぶのだから理不尽だ。絶技団に駆り出された障害者たちも、ショーの大成功から一転、完全人(健常者)から酷い目に遭わされる。本作は障害者が徹底的に踏みにじられる様子を描いているけど、実はこの障害者は共産党政権に翻弄された民衆のアレゴリーで、強固な普遍性を持っている。弱者を収奪する社会構造の本質を、障害者に仮託して描いているわけだ。そして、こういうのは何も中国に特有の問題ではなく、たとえば日本にも同様のものが見られる。世間で不満が渦巻くと弱者がその捌け口にされるし、弱いものがさらに弱いものを叩くなんてことは日常茶飯事だから。我々の社会でも、歪みのしわ寄せがすべて弱者に向かっている。僕は本作を「対岸の火事」としてではなく、自分たちの日常に偏在する普遍的事実として読んだ。

ところで、習近平は歴史教科書から文化大革命を削除しようとしているようだけど、そうすると中国文学への影響も絶大なものになるのではなかろうか。現在のところ、中国では天安門事件がタブーなのに対し、文化大革命大躍進政策は批判的に扱っていいことになっている。それが禁止されるとなかなかきついことになりそうだ。今後どうなるのか注視していきたい。