海外文学読書録

書評と感想

小津安二郎『長屋紳士録』(1947/日)

長屋紳士録

長屋紳士録

  • 飯田蝶子
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★★★

荒物屋を営むおたね(飯田蝶子)は未亡人。子供もなく一人で暮らしている。そんな彼女に戦災孤児と思しき少年・幸平(青木放屁)が押しつけられた。おたねは事あるごとに幸平に悪態をつき、彼を追い出そうとする。ところが、ある出来事を機に情が湧くのだった。

昔のサイレント映画にありがちな人情ものだが(チャップリンを彷彿とさせる)、ちょっと社会派に接近してる感じがある。終盤の説教臭いところが玉に瑕だろうか。小津安二郎は意外と分かりやすいメッセージを入れてくるから油断できない。年長者は年少者に気を配るべきだ、というのが小津の一貫した思想なのだろう。当時は老害なんて言葉はなかったはずだが、小津は確実に老害の存在を認知している。年長者のエゴに待ったをかけるところが彼の持ち味のようだ。

大人たちが孤児に冷淡なところがすごかった。みんな厄介者扱いである。特におたねは半端なくて幸平への当たりが強い。序盤は放り出そうと躍起になっている。身寄りのない子供を放り出したら野垂れ死にするのではないかと心配になるが、当の大人たちはそんなこと微塵も思ってない。一人で勝手に生きていくだろうと高を括っている。当時は終戦から2年しか経っておらず、食料も配給に頼っていた。大人たちは自分のことで精一杯で子供に情けをかけられなかったのだ。しかし、そうは言ってもおたねの当たりの強さは異常である。「子供嫌い」を自称しても余りあるほどの攻撃性が見て取れる。江戸っ子は義理人情に篤いと言うが、現代人のほうがよっぽど人情家だ。本作を見ていると子供に人権がなくてびっくりする。

カメラはローアングルで、場面転換の際は風景のショットで繋いでいる(余計な視覚効果を用いてない)。この手法は既に確立していたようだ。また、本作は戦後を生きる庶民を題材にしている。後にブルジョワ趣味に走るところはルキノ・ヴィスコンティっぽい。ヴィスコンティは己のルーツに立ち返ったと考えられるが、小津の場合はどういう心境の変化があったのか気になるところだ。

後に老け役として活躍する笠智衆が年相応のおじさんを演じている。最初見たときは誰だか分からなかった。声を聞いてようやく笠と判別できたほどである。彼は訛りがあるので分かりやすい。笠は本作で見事な歌唱を披露していた。不器用そうに見えてなかなか芸達者なのがこの人である。ともあれ、本作における笠の風貌はショッキングだった。

登場人物の口跡が落語を彷彿とさせる。江戸っ子だからそうなっているのだろうか。主演の飯田蝶子はサイレントからトーキーに移る際、演技の参考にするため落語を研究したという。確かに飯田の口跡も落語だ。現代の俳優とは明らかに違う。古典映画を見るとはこういうことかと感動した。

印象に残っているシーンは、おたねが浜辺に幸平を置き去りにしたシーン。幸平の注意を海に向けて自身はすたこら逃げている。ところが、すぐに気づかれて追いつかれるのだった。このシーンは動きがコミカルでサイレント喜劇を連想させる。小津のルーツを垣間見たような気がした。