海外文学読書録

書評と感想

小津安二郎『彼岸花』(1958/日)

★★★

会社重役の平山渉(佐分利信)には婚期を迎えた長女・節子(有馬稲子)がいた。娘の幸せを願う平山は見合い話を用意するが、娘は知らないうちに別の男とデキていた。それに怒った平山は娘と男の結婚を認めず、あろうことか娘を軟禁してしまう。一方、平山の同期・三上周吉(笠智衆)にも年頃の娘・文子(久我美子)がいるが、彼女は家を出て男と同棲していた。

小津安二郎初のカラー映画である。撮影にあたっては赤の発色のいいフィルムを使っているらしく、劇中にも赤を多く登場させている。タイトルの「彼岸花」はそこから来ているようだ。モノクロのときは和室が貧乏臭く見えたものだが、カラーだとそうでもない。むしろ、プチブル家庭に見合った立派な和室に見える。構図やカメラワークはいつも通り。モノクロからカラーに移行しても特に違和感はなかった。

物語は娘の結婚話という定型的な内容だが、とにかく平山の人物像がすごい。家父長制の権化なのである。外では自由恋愛に理解のあるような言動をしているが、内では娘の自由恋愛を認めてない。娘の幸せを口実にして彼女の自由を制限している。平山は娘が自分に相談しなかったのが気に食わない。すべての発端はここにある。平山にとって娘は所有物も同然であり、彼女の主体性を認めていないのだ。なるほど、フェミニストが家父長制を否定する気持ちがよく分かった。結婚とは人生における一大事だが、家父長制の元では相手を自分で決められない。親の決めた相手と大人しく結婚するしかないのである。子供は親の所有物だから反抗することもままならない。自分の人生を自分で決められないことほど不幸なことはないわけで、平山が家父長制の権化として家庭内に君臨する様子はおぞましいものがある。

平山を演じる佐分利信がはまり役ですごい。会社の重役らしく威厳があるし、その威厳は家庭内での保守的な父親像にも反映されている。ここまで貫禄の俳優もなかなかいないだろう。たとえば、これが笠智衆だとスマートすぎて良くない。佐分利の仕草でもっとも様になっていたのが店員に「君(きみ)」と呼びかけるところで、紳士的な物言いでありながらも歴然とした上下関係を感じさせるところが絶妙だった。我々だったら「すみません」と呼びかけるところを「君(きみ)」である。結局、平山は娘が決めた結婚に対して最後まで釈然としない気持ちを抱いているが、こんな厳ついおじさんが折れたらそれこそ嘘なので俳優と脚本がしっかり噛み合っている。佐分利も笠に負けないくらいいい俳優だ。

平山には妻・清子(田中絹代)がいる。夫婦での語らいの際、清子が戦争の頃は親子4人が一つになれたとか言っていてびびった。今は4人揃ってご飯を食べることも滅多にない。だから一体感のあった戦時中を良き思い出として語っている。これっていわゆる災害ユートピアだろう*1。災害のときには人々が利他的になって相互扶助の共同体が立ち上がる。家族の絆も深まる。本邦では東日本大震災で人口に膾炙した概念だ。僕からしたらこんなものは仮初のユートピアでしかない。清子は穏やかな顔をしながらとんでもないことを言っていて人間の複雑さを思い知る。

*1:詳しくはレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』【Amazon】を参照のこと。