海外文学読書録

書評と感想

小津安二郎『東京物語』(1953/日)

★★★★

周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の老夫婦が尾道から上京してくる。町医者で長男の幸一(山村聡)、さらに美容院を経営する長女の志げ(杉村春子)の家を訪れるも、どちらも忙しくて十分もてなすことができない。そんななか、戦死した次男の妻・紀子(原節子)が老夫婦を東京観光に連れて行く。

『麦秋』に比べると登場人物の詰め込み方が上手い。狭い和室の中で奥行きを器用に使っている。特に画面に7人入れても窮屈に感じないところはすごかった。本作は登場人物のポジショニングに注目するとかなり面白く、計算して配置しているのが窺える。

核家族の進展による拡大家族(複合家族)の崩壊を描いているが、調べたら1920年には既に54%の世帯が核家族だった。その後、1960年代に急上昇し、1963年には流行語にもなっている。つまり、本作が公開された時点で核家族は珍しくなかった。題材になるのも時間の問題だったのだろう。とはいえ、60年代の急上昇から10年も前に制作しているところは先見の明がある。その後、日本では本作のような光景が当たり前になるのだった。

寡婦の紀子が老夫婦の世話を焼くところは拡大家族の名残りかもしれない。というのも、紀子は戦死した次男の嫁であり、夫が死んでいる以上、今では赤の他人なのだ。しかし、当時は嫁になるということは夫の家に入るということ。紀子も家族の一員なのである。現代人からすると、紀子が義姉にこき使われるのは不思議な感じがするが、あくまで家に入っているという認識だから遠慮がない。核家族が進展しているとはいえ、当時の家族関係はまだまだ古いのである。本作はその古さが垣間見えるところが興味深い。

幸一や志げといった実の子供たちはそれぞれ生活があるから老夫婦に構っていられない。だから熱海旅行に出したり、紀子に東京観光に連れていかせたりしている。紀子だって仕事があるのに、わざわざ休暇をとって連れて行ってるのだ。なぜ紀子はここまで老夫婦に尽くすのか? それは彼女が義理の娘だからである。血が繋がってないから実の子供たちよりも気を使うのだ。一方、実の子供たちは自分優先で老夫婦に十分な配慮をしない。仕事にかまけて彼らを蔑ろにしている。そして、これこそが実の親子だから許される「甘え」であり、家族関係の核心とでもいうべき親密さの表れでもある。

周吉がよくできた父親で、友人と酒を飲んだ際、「今どきの若者は」式で繰り出される子供への愚痴に対して「それは親の欲だ」と言い切っている。ここまで悟りきった人間も珍しい。また、作中でとみが大往生するのだが、その年齢が68歳であることに驚いた。現代人はだいたい80歳まで生きるので隔世の感がある。昔の人は早めに亡くなっていたから介護も必要なかったわけだ。その後、人々の寿命が延びたことで核家族の問題が顕在化した。今こそ四世同堂の拡大家族に回帰すべきだろう。