海外文学読書録

書評と感想

クロード・シャブロル『いとこ同志』(1959/仏)

いとこ同志(字幕版)

いとこ同志(字幕版)

  • ジェラール・ブラン
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★★★

田舎育ちのシャルル(ジェラール・ブラン)が大学で試験を受けるため、パリに住む従兄ポール(ジャン=クロード・ブリアリ)の部屋に居候する。シャルルが要領の悪い真面目人間なのに対し、ポールは要領のいい遊び人だった。シャルルはクラブで出会ったフロランス(ジュリエット・メニエル)に恋をするが、ポールに横取りされてしまう。そして、いよいよ試験の日がやってきて……。

駄目な奴は何をやっても駄目という救いのない話だった。とどのつまり、人間に必要なのは意志の力なのだろう。意志の力が生命の輝きを生み、何事も好転して強運を呼び込む。シャルルがそれを持てなかったのは田舎育ちだったから。田舎ののんびりした雰囲気が成長の機会を阻んだ。一方、ポールがそれを持っていたのは都会育ちだったから。都会の喧騒が彼をやり手の遊び人に鍛え上げた。「東京に生まれるのはひとつの才能」とはよく言ったもので、田舎育ちの時点でシャルルには才能がなかった。ポールに敗北する運命だった。試験のためにパリに出てきた。ここには多少意志の力がある。しかし、出会ったのがポールだった。ここにシャルルの運の悪さがある。田舎に生まれたのも運なら、ポールと関わるようになったのも運だった。ともあれ、2人の関係はラストのロシアンルーレットに集約されている。田舎で育った人間は都会で育った人間には逆立ちしても敵わない。そういう残酷な事実を本作はえぐり出している。

人間の魅力とは何かと言ったら過剰な生命力だろう。ポールが若者の顔役みたいになっているのも過剰な生命力のおかげだし、シャルルからフロランスを横取りできたのも過剰な生命力のおかげだった。ポールには人間を引き付ける磁力のようなものがある。一方、シャルルは真面目さだけが取り柄であまり魅力がない。誠実そうで人間としては信用できるものの、彼からは1ミリも刺激を受けることがない。実際、彼がフロランスを繋ぎ止められなかったのもそういう物足りなさがあったからだ。若い女は男に刺激を求める。危険な香りを求める。ポールが過剰な生命力を持ったアルファオスなのに対し、シャルルはただ真面目なだけの弱者男性だった。しかも、優秀だったらまだ救いようがあるのに、シャルルは真面目なわりには結果を出せてない。必死に勉強したのに試験に落第している。一方、同じ試験を受けたポールはカンニングによって合格したのだった。要領の悪い人間というのはやはり救われないもので、それもこれも田舎に生まれたことが原因だろう。やはり「東京に生まれるのはひとつの才能」なのである。

シャルルの味方になってくれた書店主が印象に残る。シャルルが書店を訪れた際、バルザックを注文したことで彼が田舎者であることを見抜いた。というのも、パリの人間は推理小説しか読まないから。その縁もあって書店主はシャルルが落ち込んだときに励ましてくれている。女を横取りされ、試験に落第し、世界の終わりといった気分のシャルルに「やり直せばいい」と声をかけている。わずかに差した希望の光。本作においてここが唯一の救いだった。

ポールは口髭を生やしていてどこか胡散臭いのだが、得てしてこういう風体の人物こそカリスマがあるのだろう。本邦でも麻原彰晃という例がある。やはり人間は真面目そうな人間には惹かれない。規格外の何かを持った人間に惹かれる。