海外文学読書録

書評と感想

中川信夫『東海道四谷怪談』(1959/日)

★★★

備前岡山藩。浪人・民谷伊右衛門(天知茂)はお岩(若杉嘉津子)との婚儀を彼女の父親に取り消され、さらには往来で侮辱までされる。怒った伊右衛門は彼を斬殺、その場にいた直助(江見俊太郎)と共謀して事件を隠蔽し、お岩と結婚することになる。江戸に出た伊右衛門とお岩は貧乏暮らしで夫婦仲も良くない。そんななか、伊右衛門に出世のチャンスが訪れる。

原作は鶴屋南北の歌舞伎【Amazon】。

歌舞伎らしい部分と映画らしい部分が同居していて味があった。ただ、個人的にホラー映画の面白さが分からないので評価が低い。お岩の特殊メイクはグロテスクだし、死体も本物みたいで迫力があったものの、「どうせ作り物だろ」という意識があって怖がることができない。むしろ、ホラー部分はギミックに過ぎず、本筋は勧善懲悪のストーリーだろう。昔の人はこういう演目を観て溜飲を下げていたのだ。何かと揶揄されがちな「スカッとジャパン」(フジテレビのバラエティ番組)もバカにできたものではない。大衆はとにかく気晴らしがしたいのである。

歌舞伎らしい部分はお岩が死ぬシーンにあって、毒を盛られたお岩は恨み言を述べながら死んでいく。その際、思いっきり見得を切っているのだからすごい。こういう演出は昔の日本映画だとまあまあ見かけるので、映画というメディアが歌舞伎の影響を受けているのだろう。戦前は歌舞伎役者がよく映画に出ていた。そういう意味で日本映画はガラパゴスだったのかもしれない。

序盤に按摩が部屋から部屋へ移動するシーンがある。ここはそこそこ長い尺をワンカットで撮っているのだが、按摩の移動を横から壁越しに映していて、これぞセット撮りの醍醐味だった。実際の家屋を使っていたらこういうアングルでは撮れない。まさに映画のマジックである。

伊右衛門は自分の欲望のためなら無辜の民も殺せる悪人である。しかし、彼にも同情すべき点はあって、それは当時、浪人には階級上昇の機会が極めて少なかった。戦争がないから武勲を立てることができず、従って出世することもできない。浪人を抜け出す唯一の手段は上昇婚しかなかった。この辺はフランスの王政復古時代を舞台にした『赤と黒』【Amazon】と変わらない。すなわち、女を利用してガラスの地下室を突破する。伊右衛門もジュリアンも行動理念は同じであり、固定された階級社会は不幸しか生まないことが分かる。

死者となったお岩と按摩は、幻覚を見せて伊右衛門を乱心させるだけで、特に実効的な手段は取らなかった。実際に仇討ちしたのは生きた人間である。てっきりお岩が呪い殺すものだと思っていたので拍子抜けだった。これなら現代のホラー映画のほうがドラスティックである。

ラストでお岩が成仏できたのは、仇討ちを果たせたことよりも、伊右衛門から謝罪の言葉を引き出せたことのほうが大きいのではないか。本作は悪人に裁きの鉄槌を下しつつ改悛させているからこそ溜飲が下がる。