海外文学読書録

書評と感想

赤城博昭『劇場版 からかい上手の高木さん』(2022/日)

★★★

中学3年生になった西片(梶裕貴)と高木さん(高橋李依)だったが、2人は相変わらずからかい・からかわれの関係を保っていた。高校への進学が視野に入り、終わらない日常が終わろうとしている。そんな矢先、2人は神社で子猫を見つけた。折しも明日から夏休み。2人は里親が見つかるまで面倒を見る。

原作は山本崇一朗の同名漫画【Amazon】。

テレビシリーズの最終話で西片が事実上の告白をしていた。だからあれで終わりかと思いきや、正式な告白でないため終わらない日常が続いていた。恋人同士のようでいて恋人同士ではない。実質的には恋人同士なのにはっきりと認めていない。両思いでありながら友達以上恋人未満を続けている。本作でその宙吊り状態に終止符を打つことになった。

全体としてはロマンティック・ラブ・イデオロギーの映画になっていて、恋愛して結婚して子供を産み育てる、というプロセスを二重にやっているところが目を引いた。

これはつまり、子猫の世話が子育てのメタファーになっているということだ。2人で子猫に名前をつける。2人で子猫と遊ぶ。そして、雨が降ったときは夜中なのに急いでかけつけて保護をする。西片はパパのようであり、高木さんはママのようである。特筆すべきは、子猫の世話が長く続かないところだろう。ある日、偶然子猫を拾った家族が勝手に引き取っていく。この子猫はメスであり、西片と高木さんからしたら娘も同然だ。しかし、娘もいつかは結婚して親から離れていく。子猫のことは黙って見送るしかなかった。このように人生のプロセスをメタファーとして疑似体験しているところが面白い。

そして、そういった疑似体験を経たからこそ、西片から告白の言葉が飛び出してくる。メタファーとして行ったことを今度は現実で繰り返していくのだ。実際、エピローグでは大人になった2人が娘を連れて虫送りに参加している。どうやら島で育った2人は同じ島で子育てしているようだ。生活の再生産こそロマンティック・ラブ・イデオロギーの要諦なわけで、本作は徹頭徹尾理想化された男女関係を描いている。

西片と高木さんは授業中に教室の片隅でイチャイチャしている。下校時にはグリコじゃんけんしながら帰っている。2人だけの親密な世界。田舎を舞台にしたこの光景は、典型的な青春ノスタルジーである。しかし、我々の現実には高木さんなんていなかった。我々は本作を見ることによって、欲しくても手に入らない極上の青春を夢見ている。過ぎ去った青春、現実ではあり得ない理想の青春もフィクションでなら追体験できる。僕はアニメ好きで本当に良かったと思う。

元々は終わらない日常をテレビシリーズでやっていたので、それを一息に終わらせようとする劇場版の形式とは相性が悪い。本作もそれなりに楽しんだものの、3期(『からかい上手の高木さん3』【Amazon】)の終わり方で十分だった気がする。

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