海外文学読書録

書評と感想

ジュゼッペ・デ・サンティス『にがい米』(1949/伊)

★★★★

泥棒のワルター(ヴィットリオ・ガスマン)と情婦のフランチェスカ(ドリス・ダウリング)は首飾りを盗んで警察に追われていた。2人は一旦離ればなれになる。フランチェスカは水田地帯に出稼ぎに行く女性たちに紛れ込むのだった。そこで彼女は若くてグラマーなシルヴァーナ(シルヴァーナ・マンガーノ)、さらに兵士のマルコ(ラフ・ヴァローネ)と知り合う。田植えは一筋縄では行かず……。

北イタリアの田植えを背景に男女の愛憎劇を展開していて面白かった。女2人が悪党のワルターに翻弄され、取り返しのつかない結末を迎える。ラストで労働者たちが遺体に米をかけて弔うシーンに言い知れぬ崇高さを感じた。

ワルターがとんでもない悪党で、序盤で情婦のフランチェスカから「女を利用することしか考えない男」と評されている。フランチェスカワルターに人生を滅茶苦茶にされたものの、それでも彼に依存するしかなかった。一方、ワルターは若くてグラマーなシルヴァーナに目をつけ、まんまと口説き落として懇ろになる。やがて彼女を自身の泥棒稼業に加担させるのだった。フランチェスカもシルヴァーナもワルターのいいように利用されている。悪党による愛情の搾取が痛々しかった。

ワルターは愛情だけではなく、労働者から成果物まで搾取しようとしている。田植えの報酬は米による現物支給で、ワルターはそれを盗もうというのだ。後からやってきて労働者の上前をはねる。彼がやろうとしていることは貧乏人から盗むことであり、それを知ったフランチェスカワルターに反旗を翻すことになる。フランチェスカは実際に田植えをしたからこそこのような境地に達したわけで、他者の痛みを知ることで盲目的な依存から脱することができた。つまり、労苦が彼女の認識を変えたのである。ワルターによる愛情の搾取と労働力の搾取。これらは極めて悪質で、泥棒とは究極の搾取者であることを思い知らされる。

北イタリアではアジア式の田植えをしているのだけど、その風景がまたいい感じの絵になっていた。序盤では異なる2つの集団が歌合戦から乱闘に及んでいて迫力がある。また、中盤では土砂降りの雨のなか自発的に田植えに従事し、一人の女が具合を悪くしてのたうち回っている。そんなことお構いなしに合唱する女たち。その歌声をBGMにして、付近の女たちが具合の悪い女を介抱している。熱狂的な合唱と土砂降りの雨。その有様はまさに地獄だった。このような末端の労働者から搾取しようとするワルターは、やはり「悪」以外の何物でもないだろう。彼の性根は本当に卑しい。

特筆すべきはシルヴァーナのグラマー・ガールぶりだ。およそイタリア女とは思えないはち切れんばかりの肉体をしている。特に太ももの太さ、お尻のでかさが桁違いだった。劇中では彼女が堂々と脇毛を見せつけていて、その野性味には心惹かれるものがある。素晴らしい、実に素晴らしい。シルヴァーナ役のシルヴァーナ・マンガーノは日本で「原爆女優」と呼ばれていたそうで、当時の日本人も魅了されたようだ。現代人の僕も魅了されているわけで、セクシーは時代を超えるものだと感心する。