海外文学読書録

書評と感想

アッバス・キアロスタミ『友だちのうちはどこ?』(1987/イラン)

友だちのうちはどこ?(字幕版)

友だちのうちはどこ?(字幕版)

  • ババク・アハマッドプール
Amazon

★★★★

イラン北部のコケール村。小学生のアハマッド(ババク・アハマッドプール)が、間違って隣の席のモハマッド(アハマッド・アハマッドプール)のノートを持ち帰ってしまった。宿題をしてこないと先生(ホダバフシュ・デファイ)に退学にされてしまう。アハマッドはノートを返しに隣村のポシュテへ行く。

ハイド・アンド・シークもの。アハマッドは友達の家が分からないので、道行く人たちに尋ねて何とか見つけようとする。本作は舞台の珍しさで得をしているような映画で、普段見れない風景がたくさん見れて満足感があった。

子供のイノセンスを中核に据えつつ、大人が抑圧的な存在として設定され、それによって両者の軋轢を描いている。こうした図式は賛否両論あるかもしれない。「これがイラン社会のリアルだ」と言われればそれまでだけど、それにしたって安直にすぎるではないか。先生は生徒たちに退学を脅し文句にして宿題をさせているし、母親は息子が止むに止まれぬ状況にあることを理解しようとせず頭ごなしに命令している。さらにやばいのが祖父で、彼は躾けのために敢えて孫に理不尽な指示を出している。もし言うことを聞かなかったら殴っていたというのだから恐ろしい。アマハッドはそれどころじゃないのに、子供の言うことは聞くに値しないとばかりにみな自分の都合を押しつけてくる。

要するに、この社会において子供は大人の奴隷なのだ。大人は一方的に命令し、子供はただそれに従う。何があっても「大人の言うことを聞くんだ」の一点張りで、子供の言い分も聞かずにひたすら理不尽な命令を繰り返す。一見すると野蛮に思えるけれど、しかし、昭和の日本だって似たようなもので、当時は父親が女子供を殴っていた。その源泉にあるのが悪名高き家父長制である。日本人も一度は通ってきた道だ。だから本作を観ると古傷を抉られるような感覚になる。

そういった社会でアハマッドの助けになるのが自分と同じ子供たちだ。家探しが進むのも同年代と偶然出会ったおかげである。本作において子供たちは一貫してイノセントな存在として描かれており、その佇まいはおとなしい小動物を思わせる。そして、障害になるのが大人だ。基本的にこいつらは邪魔しかしかない。ただ、唯一の例外が終盤に出てくるお爺ちゃんで、彼は若干ボケているとはいえ、アマハッドに対してすこぶる協力的な態度でいる。このお爺ちゃんの登場によって、大人も捨てたものではないという雰囲気が醸成されていた。

序盤、少し離れた位置から子供の動きをカメラが追っていく構図が良かった。アマハッドが友人の膝に水をかけてあげるシーン。また、同じくアマハッドが家の手伝いで建物をあちこち移動するシーン。いずれも長回しというほど長くはないものの、子供が演じるには長いだろうというレベルの長さ。映像の撮り方に非凡なものを感じた。