海外文学読書録

書評と感想

藪下泰司、手塚治虫、白川大作『西遊記』(1960/日)

★★★

石から生まれた猿(小宮山清)が、燐々(新道乃里子)というメス猿と友達になる。石猿は仙術を修行し、師匠から孫悟空と名付けられるのだった。ある日、天界で桃を盗んだ孫悟空は、釈迦如来(武田国久)によって五行山に閉じ込められる。その後、通りかかった三蔵法師関根信昭)に助けられ、天竺まで旅のお供をするのだった。

原作は中国の古典『西遊記』

この頃のアニメは純粋に子供向けに作られているようで、大人が観るにはちょっと退屈だと思う。そこは全年齢に向けた現代の深夜アニメとは事情が違うし、また親子の視聴を想定したプリキュアとも異なる。現代人が本作を観るとしたら、学究的な意味合いが強くなるのではないか。『西遊記』の翻案として、あるいは黎明期の日本アニメの点検として、細部を確認するような見方になるのが妥当だろう。

基本的には中国風のビジュアルだけど、時にギリシャ風だったり、あるいはSF風だったり、柔軟に異国情緒を出しているところが面白かった。この辺の自由さがアニメ表現の醍醐味だと思う。また、特筆すべきなのが沙悟浄のキャラデザで、彼が河童ではなく、大入道なところには感心した。もちろん、これは原作通りである。しかし、児童文学ではしばしば河童みたいに描かれているので、原作に忠実なのはかえって意外だった。沙悟浄については、いつから河童にされたのかが気になる。

猪八戒が金角・銀角の弟分で、2人を倒すことで仲間になる流れは上手くまとめたと思う。さらに、そこから沙悟浄との出会い、牛魔王との戦いと、話がスムーズに展開している。『西遊記』を劇場版に仕立てるに当たり、相当な工夫をしていることが分かった。そして、見せ場もちゃんと作っている。孫悟空が敵の胃の中で暴れたり、変身能力で危機を脱したり、妖怪変化の面目躍如といった活躍をしていた。

尺の都合から「俺たちの戦いはこれからだ」で締めるのかと思ったら、ちゃんと天竺から経文を持って帰ったのは予想外だった。孫悟空は友達の燐々と再会し、故郷に錦を飾っている。乱暴な性格も矯正されていて、極めて後味のいいラストだった。これには大長編を読んだような充実感がある。

ところで、本作の冒頭では西洋の神と東洋の神が登場し、気さくにやりとりをしている。こういうリベラルな宗教観が、60年前から当たり前のように存在していたことに驚いた。ここにキリストとブッタが共存する『聖☆おにいさん』【Amazon】の萌芽がある。日本はあらゆる宗教が交わる結節点なのかもしれない。