海外文学読書録

書評と感想

ジョン・フォード『わが谷は緑なりき』(1941/米)

★★★

19世紀末のウェールズ。炭鉱町に住む少年ヒュー・モーガンロディ・マクドウォール)は、厳格な父(ドナルド・クリスプ)と母(サラ・オールグッド)、さらに5人の兄と1人の姉(モーリン・オハラ)と同居していた。姉はグリュフィード牧師(ウォルター・ピジョン)と相思相愛の仲だったが、炭鉱主の息子の元に嫁いでしまう。また、兄たちも事故死したり移民したりで数が減っていく。そんななか、ヒューは隣町の学校に通う。

劇中では悲しい出来事が何度か起きているのだけど、総じて楽観的なトーンになっている。これは老齢のヒューが少年時代の出来事を回想しているからだろう。思い出の中の故郷はいつだって美しいものである。かつての炭鉱町は、労働者の合唱で彩られた一体感のある町だった。個人的には、町全体が巨大な親密圏になっているところが微笑ましく、現代の無機質な都市とは一味違うと感心した。

子供という立場は特権的で、大人社会の観察者としては最適の位置にある。ヒューにとって理想の大人は、自分と向き合ってくれるグリュフィード牧師だ。大抵の大人は、他人の子供に対してつい遠慮してしまうものである。しかし牧師は羊飼いゆえに、自分の思想なり何なりを話して少年を導こうとしている。子供を一人の人間と見なして、適切なアドバイスを与えている。こういうのってなかなかできるものではない。彼こそが理想の大人というやつだろう。ただ、そんな牧師も順風満帆とはいかず、住民から良からぬ噂を立てられて排除されてしまう。その際、「私は子供の頃、真実で世界征服できると思っていた」と少年に告白するのだから、何とも悲しいではないか。世界は打算的で、危険で、自分の思い通りには動かない。そのことを少年に知らしめている。

牧師はヒューの姉と相思相愛だったけれど、姉が炭鉱主の息子から求婚されたため、自分は身を引くことになる。聖職者と結婚してもひもじい思いをさせるだけだ。愛する女には豊かな生活を送ってもらいたい。そういう考えで身を引くのだから立派である。思うに、これが当時のダンディズムだったのだろう。現代の恋愛至上主義とは一線を画していて、煩悩にまみれた僕には眩しかった。

本作でもっとも印象的だったのが、落盤した坑内でヒューが「父さん」と叫ぶシーン。密閉空間のため、叫んだ声がこだましている。この部分、トーキーによって表現の幅が広がったと確信したシーンだった。思えば、労働者たちの合唱もトーキーの特質を生かしている。ヒッチコックサイレント映画について、「ただ自然音がなかっただけであって、映画としてはほとんど完璧な形式に達していた」と評していたけれど*1、それは間違いではないかと感じた。

*1:ヒッチコックトリュフォー『映画術』【Amazon】。