海外文学読書録

書評と感想

ペーター・ハントケ『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』(1970)

★★★

機械組み立て工のヨーゼフ・ブロッホは、昔サッカーのゴールキーパーをしていた。彼は現場監督の仕草からクビを通告されたと解釈し、職場から去ってホテルに投宿する。映画館に立ち寄ったブロッホは、切符売りをしている娘を追いかけて彼女の部屋へ。そこで娘を絞殺し、国境行きのバスに乗り込む。

フォワードやボールから目をそらせて、キーパーに注目するのはたいへんむつかしいものです。》とブロッホが言った。《ボールから目を離さねばならぬ、これは全くもって不自然なことですよ。》ボールではなしにキーパーを見るんです、両手を腿におき、前に進み、うしろに退き、左右に身をまげ、そしてフルバック(後衛)に叫びかけるのを見るんですよ。《普通は、ボールがすでにゴールめがけてキックされてからやっとキーパーに気づくんですがね。》(p.170)

いまいちよく分からなかったけれど、これは「言葉」をめぐる小説なのかなと思った。ブロッホと女がお互いに好き勝手なことを言いながらも何となくコミュニケートできたり、ブロッホが男の話を聞いた際、ひとつの文章でまとめられるのを複数に分けて話していたのを気にしていたり、バーバルコミュニケーションに焦点を当てている。かと思えば、ブロッホは頻繁に新聞を読んでおり、そこに連なる文章にも気を払っている。これはつまり、話し言葉と書き言葉、双方を射程に収めているのだろう。書き言葉については、終盤で単語と記号によるいくぶん実験的な記述(当時としては)も出てくる。やはりこれは「言葉」をめぐる小説なのだと思う。

(……)この画家は青に少しずつ変化をもたせながら、まさしく一つの空を描かねばならなかったのであり、しかもその変化はそれなりに、混合の際のミスとみなされるほど余りはっきりしていてはいけないのだ。事実、後景がいかにも空のように見えるのも、一般に後景を空と考える習わしがあるからではなくて、あそこの空がひと筆ひと筆と描き込まれていったからだ。(p.110-111)

教会に入ったブロッホが、天井に描かれた絵を見て、その創作の過程について考える。これは小説にも当てはまる一種の芸術論なのかもしれない。ただ、小説に当てはめた場合、これが描写について語っているのか、叙述について語っているのかは不明だ。さらに、終盤でようやくゴールキーパーに焦点が当たるのだけど、この場面におけるボールとキーパーの関係も、芸術論に繋がる何らかの比喩なのだろう。たとえば、ボールが物語でキーパーが叙述みたいな。しかし個人的には、こういう深読みは過剰解釈っぽいからあまりしたくない。そういうのは『エヴァンゲリオン』【Amazon】で凝りたのだ。だから、何となく気になる箇所だなあ、と思うにとどめておく。

本作は不条理文学っぽい雰囲気を漂わせながらも、言葉や芸術に触れたり、きちんとゴールキーパーにオチを持っていったり、発想と組み合わせが面白かった。惜しむらくは、僕が過剰解釈を恐れるあまり、上手く消化できなかったことだ。無知ゆえの蛮勇に突き動かされていた若い頃とは違い、今は自分の読みに確信が持てないでいる。もっと大胆に自説を披露できるようになりたいと思う。