海外文学読書録

書評と感想

ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』(1922)

★★★★

バラモンの子シッダールタとその友人ゴーヴィンダが、現在の生活を捨てて沙門の道に入る。3年後、2人は涅槃に達したというゴータマの噂を聞く。バラモンや王公も彼の弟子になりつつあるとか。2人はゴータマに会いに行く。そして、ゴータマの教えを聞いたゴーヴィンダはその弟子となり、一方のシッダールタはゴータマと問答した後、己の道を進む。

仏陀は自分から奪った、とシッダールタは考えた。自分から奪ったが、それ以上のものを自分に与えてくれた。仏陀は自分から友を奪った。友は自分を信じていたが、今は仏陀を信じている。友は自分の影であったが、今はゴータマの影になっている。だが、仏陀は自分にシッダールタを、自分自身を与えてくれた。(p.29)

新潮世界文学全集(高橋健二訳)で読んだ。引用もそこから。

僕みたいな俗物にとってはありがたいお経のような小説で、正直ちゃんと理解できたのかも怪しいのだけど、読後は悟りを開いたような気分になれたので、それなりに堪能できたとは思う。

敬虔な仏教徒が「苦悩から解脱したい」と思っていることについてはまあ納得できる。仏教に限らず、たいていのは宗教はそういうものだろう。現し世は地獄という考え方。とはいえ、僕は死後の世界も輪廻転生も信じてないから、人生に対する態度は正反対だ。彼らと違って断食や苦行に意味を見出だせない。だから本作についても、最初は自分と違う世界の話だと思っていた。もっと言えば、信心深い人のために書かれたものだと思っていた。けれども、読んでいくうちにそんな偏見も一変、無宗教の僕にも関わりがある、普遍的な内容であることを理解した。

シッダールタは自我の意味と本質を学び、それから逃れたいと思っていた。自分がシッダールタであることについて知りたいと願っていた。これはいわゆる「自分探し」というやつだけど、青年期にこの意識を持つことは、より良い人生を送るうえで必要不可欠なのだろう。人生とは試行錯誤と回り道でできていて、ショートカットはできない。出会う人すべてが自分の師であり、良いことも悪いことも含めたすべての経験が糧になる。本作は短いながらも射程が壮大で、人生について大きな学びがあった。目標を持つよりは持たないほうが自由でいい。求道者は目標に取り憑かれているがゆえに、視野が狭くなって何ものも見出だせなくなる。ゴータマの弟子になったゴーヴィンダは、最短ルートを歩んでいるようでかえって遠回りをしていた。おたくの僕は「文学を極める」という目標を掲げて今までひた走ってきたけれど、確かにそのせいで大切なものを見逃していたと思う。文学を極めるには、文学以外のすべての経験が重要になる。目標を設定することで目標が達成できなくなるのは本末転倒でしかないわけで、本作の視点は僕にとってコペルニクス的転回だった。

年長者は自身の過ちや後悔から若者にアドバイスしがちだけど、そういうお節介は最小限にとどめて、どんどん回り道をさせたほうがいいようだ。頭でっかちのお利口さんにさせては駄目。じゃないと発見する喜びがなくなってしまう。